ソース: http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/14562/1442491876/
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2 : 2015/09/17(木) 21:38:12 -
娘「休日だからといってダラダラしていてはダメよ? 節度ある生活こそが健全な肉体と精神を養うのだから」
八幡「お父さんが良いことを教えてやろう。休む日と書いて休日と読むんだぜ。わかったか、プチのん?」
娘「誰に向かってものを言っているのかしら。自慢ではないけれど、万年学年三位だったパパとは違って、私の国語の成績は入学以来常に学年一位よ」
と、無い胸を誇らしげに張るのは我が娘である。
昨夜は休日前ということもあって、積んでいた読書やらゲームやらを明け方までやっていたから、眠りに落ちたのはつい二時間ほど前のことであった。
だというのに、我が娘ときたら、気持ちよく眠りにつく父の布団を剥ぎ取り、叩き起こすのである。挙げ句の果てには説教される始末であった。
これは誰に似たのん?
八幡「べつに恩に着せるつもりはないが、お父さんは毎日お仕事を頑張っていてだな……。たまには遅くまでダラダラしてもいいんじゃないかなって思うんだけど?」
娘「いつも私たちのために働いてくれることに関しては、尊敬もしていますし、感謝もしています。だけれど、それとこれとは話が別よ。休日でも早起きする。そうすることで充実した休日を過ごすことができるのだから、厳しいように思えるかもしれないけれど、これはパパのためになることよ」
八幡「もっともらしいことを言っちゃってまぁ。まじ、プチのん」
娘「もっともらしいことではなく、もっともなことよ。……それから一応訊いておくけれど、そのプチのんというのは何かしら?」
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3 : 2015/09/17(木) 22:05:59 -
勿論、プチゆきのんの略である。
その旨を伝えようとしたところ、「いえ、やっぱり言わなくてもいいわ」と手で制されてしまう。どうやらだいたいのところは察したらしい。呆れたようにこめかみに手をやり、はぁ、と大きな溜め息をついている。
八幡「頭でも痛いのか?」
娘「……誰かさんのせいでね」
八幡「困った奴がいたもんだな」
娘「本当にね。まあ、いいわ。パパ、朝食ができたから食べましょう。早くしないと冷めてしまうわ」
寝ている俺の腕を引っ張り、ベッドの上に座らせたのを見届けると、娘はエプロンの裾を翻して部屋を抜けようとする。
そのとき、娘の唇がわずかに動いたのを見逃さなかった。
八幡「……」
我が娘ながらできた子である。
休日には母親の代わりに朝食を作り、だらしない父親を起こし、そして何よりも部屋を出る直前に「パパと一緒に朝食をとる機会なんてあまりないのだから、早く来なさい」と少しデレてみせるあたり、本当にできた娘であった。
……そのあと、「今の愛娘的にポイント高い」などと呟かなければの話であるが。
雪乃と小町のハイブリッドとか、俺が大好きなもの同士の組み合わせなのに、なぜか悪寒が止まらないのはなんでだろう。
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4 : 2015/09/17(木) 22:50:57 -
しかし、冷静になって我が娘の遺伝子について考えてみると、かなりヤバいことがわかる。
雪乃と俺のフュージョンという時点でかなり地雷臭がするが、そのうえ、三親等以内の親族には小悪魔小町と大魔王陽乃さんがいるのであった。
王道を行く雪乃の勤勉さを見習い、邪道を極めし俺の要領の良さを受け継ぎ、対人関係において無敵の小町に師事し、あらゆるものに勝ち続けてきた陽乃さんに帝王学を仕込まれ。
我が娘は何者になるのだろう。
しかし、まあ、とりあえず料理人という選択肢もありだよなぁと、娘が作ってくれた朝食を口にしながら思う。
ゆきのんに勝るとも劣らないプチのんの料理の腕。基本的にも応用的にも負けず嫌いなものだから、料理上手の母親にライバル意識を燃やしているうちにとんでもない領域にまで昇華されているのだった。家に帰ると毎日食戟なのである。食卓に並ぶ料理が美味しいのは嬉しいが、両隣から「私の作ったものの方が美味しいわよね?」と圧力をかけられるのは辛かった。
朝食をとっていると、ふと娘と目が合う。
八幡「ん? 今、俺のこと見てたか?」
娘「ええ。えっと、その、今日、パパは何か予定があるのかしら?」
少し恥ずかしそうにして、視線をテーブルの隅に固定されながら、珍しく歯切れの悪い様子で娘が訊ねてくる。
八幡「いや、昼まで寝るつもりだったが、その予定は潰えたからな……。何もないぞ。なんかあるのか?」
娘「そ、そう。いえ、たいしたことではないのだけれど、パパが娘とデートしたそうな顔をしていたから、たまには一緒に遊んであげてもいいかなと思っただけよ」
どんな顔だよ。
俺、そんな顔してたか?
いや、娘と仲良くデートだなんて、お父さん的には一種のステータスだから、願ってもないことではあるんだけどね?
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18 : 2015/09/19(土) 19:22:19 -
八幡「なあ、パパから提案があるんだけど」
挙手をして言うと、「はいはい、パパ、どーぞー」と娘が教師口調で指名する。それもどこか覇気のない、だらっとした調子である。
それはあれか、仕事中の俺の真似をしているのか。
さては、総武高校の国語教師の真似だろ。
……いや、てゆーか、なんで俺の勤務態度知ってるの? 同じ職場の学年主任とかいう目の上のたんこぶこと、ゆきのん先生がリークしてるのん?
職場でも家でも雪乃まみれどうも俺です。
八幡「俺が今一番ホットなデートスポットを教えてやろう。レンタルビデオ屋に行って、映画を何本か借りるだろ? それから適当にお菓子と酒とツマミを買い込んで、家で映画鑑賞会をしよう。勿論、帰宅後にはパジャマに着替えるから、パジャマデートと言えなくもない。ほら、パジャマデートなんて、響きが大人っぽいだろ? どうだ?」
娘「……パパ、それ、あなたが家でゴロゴロしたいだけじゃない。毎日お仕事で疲れているでしょうパパのことを慮った結果、百歩譲ってお家デートを認めたとしても、パパとお喋りしたいのだから映画鑑賞会なんて嫌よ。私はパパとスキンシップをとりたいの。そんなこともわからないなんて、パパは本当にダメ幡ね」
八幡「おい、父に変な呼び名をつけるな、プチのん。デレるなら最後までデレろよ。いきなり牙を剥かれたら、びっくりしちゃうだろうが」
しかし、お家デートを認めてくれるあたり、うちの娘は人間ができている。そこまで良い子にされると、「いつも我慢させちゃってるのかな?」だなんて我が儘を聞いてあげたくなるのが親心なわけで、もうすっかりお家デートをする気は失せていた。たまにはどこか遠くに連れて行ってやるのもいいだろう、たまの休日くらい家族サービスをしなければ。と、そんな気分になったのである。
すっかり俺も人の親だなぁなどと、改めて娘が持ち込んだデート特集の山に視線を落とす。
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30 : 2015/09/24(木) 05:07:11 -
あまりに我が儘を言ってもらえないと、寂しく思うだけではなく、俺はそんなに頼りなく見えるだろうかと不安にもなる。
八幡「あのな、家でも言ったが、我が儘を言える期間なんて短いものなんだから、今のうちにたくさん言っとけ。遠慮するな。疲れることよりも、きっと家族に遠慮される方が辛いから」
娘「だって、パパに手のかかる娘だと思われたくなかったのだもの」
八幡「ばっか、お前、んなこと思うわけねぇだろ。家族大好きなことに定評のある俺だぞ。なんなら小町にはうざがられていたまである」
陽乃さんと娘の関係は雪乃と猫の関係に似ているが、雪乃と猫の関係は俺と小町の関係に似ているのであった。
娘「……パパは我が儘を言われて嬉しいの?」
八幡「全く言われないのは寂しいもんだ。お前も人の親になればわかるさ」
娘「……そう」
娘は呟いたきり黙りこくって、わずかに何か考えるようは間があった後、「つまり、比企谷くんはドMということかしら?」と母親譲りの良い笑顔で言った。
それに対して、俺はこめかみに手をやるという例のポーズで対抗する。
八幡「比企谷くんだなんて私のことを呼んで、なぜ雪乃風に言うのかしら」
娘「ママに似せてドMと詰った方が喜んでくれると思ったからよ」
八幡「余計な気遣いなのだけれど。……それにしても、どうして未だに雪乃は私のことを比企谷くんと呼ぶのかしら。今となっては自分も比企谷のくせに」
娘「パパは本当にダメ幡ね。そんなの、未だにパパを名前で呼ぶのが恥ずかしいからに決まっているじゃない」
八幡「……え、そんな可愛い理由なの?」
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33 : 2015/09/24(木) 14:13:11 -
八幡「手をつなぐのは構わないんだが、俺、不審者に見えないか? 拐かしとか、援交とかさ」
娘は誰が見てもわかるレベルで母親似であり、外見的特徴が雪乃に寄り過ぎているため、一見様の場合、俺と娘が父子だとは見抜けない可能性がある。それでも普通にしていれば、道行く人たちからも「たぶん親子だろうな」と理解されるだろうが、手をつないで歩くとなると「……ん? あれは親子か?」と疑惑の目で見られかねない。
八幡「ちゃんと親子に見えればいいんだが……」
ぽつりと呟くと、隣を歩いていた娘の足が止まる。
娘「それは私たちが親子ではなくて恋人に見られているかもしれないということかしら少し嬉しくもあるけれどでもやっぱり親子だからそういうただれた関係は無理ですごめんなさい」
八幡「おい、やめろ。何はすの物真似だよ」
娘「いろはちゃんの物真似よ。一色くんにも似ているとお墨付きをもらったのだけれど、どうだったかしら? ちなみに、ママに披露してみせたところ、肩を震わせて笑いを堪えていたから、我ながら完成度は高いと思うわ」
しかし、俺のいないところで、 嫁と娘は一体何をしているのか。
得意気に物真似を披露する娘とそれに付き合う雪乃を想像すると、じんわりと胸が温かくなるようで和む。
八幡「そういや、今年は一色の息子と同じクラスだったか。名前なんだっけ、一色ボルヴィックだっけか」
娘「そんなわけないでしょう。水から離れなさい、パパ。一色クリスタルガイザーくんに決まってるじゃない」
八幡「おい、ばか、ボケにボケを重ねんな。一色六甲のおいしい水くんに決まってんだろーが」
娘「パパだってボケ倒しているじゃないの。……はぁ、ママがいないと会話にまとまりがなくなるわね」
たしかに。基本的に俺も娘もボケたがりなので、ツッコミ不在だと会話にとりとめがなくなる。
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68 : 2015/09/30(水) 19:56:34 -
俺がきょろきょろと辺りを見渡していると、それでだいたいのところを察した娘が「そろそろ休憩する?」と声をかけてくる。
話の早い子である。
おう、と頷くと、わずかに手を引かれる感覚がある。
娘「休憩するなら、パパと行ってみたかったところがあるの。行ってもいい?」
八幡「おう。どこでもいいぞ」
娘「……パパ、あなたに他意がないのはわかっているけれど、どこでもいいは女子語でどうでもいいという意味よ」
まさか、娘に女性を説かれる日が来ようとは思いもしなかった。
これは誰の受け売りだろうか。いくつか思い当たる顔がある。雪乃は「女子語」だなんて頭の悪そうな言葉を嫌うだろうから選択肢から外れるとして、残る有力候補は、由比ヶ浜、小町、一色の三人。
八幡「で、それは誰の受け売りだ?」
娘「結衣ちゃんよ」
訊いてみれば、颯爽と髪を払いながら娘が得意気に教えてくれる。
あちゃー、ガハマさんだったかー。女子語なんて頭の悪そうな言葉を使ってたのはガハマさんだったかー。
しかし、コミュ力に定評のある由比ヶ浜が言うのであれば、きっと正しいのであろう。なにせ俺や雪乃と親しくなるほどのコミュ力なのである。どこでもいいはどうでもいい。肝に銘じておこう。
八幡「そんじゃあ、どこでもいいじゃなくって……、その、なんだ、お前の好きな店を教えてくれよ」
由比ヶ浜の教えの通りに言えば、娘が照れたようにはにかみながら「ええ、もちろんよ」と頷く。
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70 : 2015/10/02(金) 21:07:17 -
果たして、娘に連れて行かれた先は甘味処であった。
本をゆっくりと読むのに具合が良いので喫茶店にはよく行くが、甘味処というのは存外馴染みがない。日本人たるもの珈琲にケーキよりもお茶に団子であろうが、いかにも過ぎてかえって敷居が高くなっている気がする。だから、改めて甘味処に入るとなると、少しばかり二の足を踏んでしまうところがあって、こういった機会でもないと訪れることもないだろう。
店に入ると橙色の間接照明が柔らかく店内を照らしていて、落ち着いたゆったりとした時間が流れているようだった。
娘「こっちよ」
窓ガラス越しに手入れされた庭がよく見える席に案内される。庭といっても広いものではなくて、平安時代の寝殿造で言うところの渡殿と透渡殿の間にある壺といった感じであるが、これはこれでなかなか趣深くて良い。
八幡「なかなか洒落てるもんだな……。俺、ここにいてもいいのか? 変じゃない?」
娘「いきなり卑屈にならないでほしいのだけれど……。大丈夫よ、この私のパパなのだから、もっと自信を持ちなさい」
八幡「お、おう。……さんきゅ?」
娘「どういたしまして」
机を挟んで対面に座った娘が口許で笑む。
流石に手をつないだまま席に着くわけにはいかなかったから手を離したわけだが、そうしてみると今まで娘と触れ合っていたぶん何か物足りない感じがする。
どうにも持て余し気味になった手を落ち着けるため、机にあったメニュー表を手に取る。
娘から見て字が見えやすいようにメニューを広げる。
さりげない気遣いができる俺かっけぇと得意気に娘を見てみると、そんな俺の思惑などすっかり見透かされていたようで、微笑ましそうに「ありがとうね、パパ」と声には出さずに口を動かしてみせる。
そして、浅はかな俺だせぇ、と今度は恥ずかしい気持ちでいっぱいになるのであった。
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71 : 2015/10/02(金) 23:09:38 -
娘「それで私は白玉ぜんざいを白玉ましましで頼もうと思っているのだけれど」
八幡「え、なに、そのラーメン二郎みたいな注文の仕方は……」
お洒落な雰囲気の店なのに、脂ましまし的な注文をしちゃってもいいのん?
八幡「んじゃあ、俺もそれで頼むわ」
なにせ甘味処自体馴染みがないもので、何を頼めばいいかわからない。比較的、娘と美味しいと感じるものが似通っているから、彼女と同じものを注文すればハズレはないだろう。
店員さんを呼ぶと注文を済ませる。ましましだなんて注文してしまって変に思われないか心配であったが、店員さんはにこやかに「ましましですね」と復唱して下がって行った。
マジか。白玉ましましで通じるのかよ。
洒落ていて、洗練された雰囲気であったから、少し肩肘を張っていたのだが、なんだか急に身近な店に思えてきた。
八幡「しかし、随分と慣れた様子だが、前にも店に来たことがあったのか?」
我が家は基本的に紅茶党兼珈琲派閥であるから、そもそも日本茶を頂こうという発想がない。だから、陽乃さんか小町あたりに連れられて来たのかしらと考えていると、意外や意外、娘は「ママと来たことがあるの」と答えた。
八幡「へぇ。そいつは意外だな」
紅茶大好きゆきのんのことだから、てっきり休憩するのも喫茶店かと思っていた。
娘「いえ、ママと遊ぶときはいつも喫茶店で休むのよ? だけれど、そのときはちょうど贔屓の店がお休みで、どこで休んだものかと辺りを歩いていたところ、この甘味処を見つけたわけなの」
八幡「それでお気に入りになったと」
娘「ええ。たまには日本茶もいいものね」
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74 : 2015/10/03(土) 10:03:48 -
二人でいるとき、どうなっているのか、私、気になります!
娘「……その、ごめんなさい。それは話せないわ」
とても言い難そうにしながら、ふいっと娘が目を逸らす。
その仕草と声のトーンで、だいたいのところを察してしまった。
幾千幾万八万もの黒歴史に曝されながらも長年研きをかけてきた八幡センサーに死角はない。
……あっ、これ、悪口を言われてるパターンのやつだ。
むしろ、俺レベルになると、慣れ過ぎて「あー、はいはい、そのパターンね、よくあるやつね」と軽く流せるまである。
……他人の悪口ならば。
愛しい嫁と娘に悪口を言われるのは、さしもの俺であっても堪える。
ずーんと重たい空気を背負って肩を落としていると、「パパは何か勘違いをしているわ」と娘が焦った様子であたふたと空いたグラスに差し水を注いでくれたりと気を回してくれる。
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75 : 2015/10/03(土) 19:11:01 -
八幡「ダイジョーブ、ダイジョーブ、ハチマンカンチガイシナイカラ」
娘「い、いいえ、きっと勘違いをしているわ! だって、パパの目、若い頃の写真みたいにすごく濁っているのだもの」
へぇ。若い頃の俺の写真、残ってるんだな……。友達と写真を撮る機会に恵まれているわけではなかったし、生家もまめまめしく記念撮影をする方ではなかったから、俺の写真というものはほとんど現存していないレア物であった。
娘「パパの表情から鑑みるに、きっと何か後ろ向きなことを考えて気落ちしているのだろうけれど、パパが傷つくような話はしていないわ。私とママがパパの嫌がることをするわけがないじゃない。ね?」
テーブルから身を乗り出して、俺の両手を包むように握る娘。
たしかにマイナスに考えて気落ちしてはいたが、そこまで重く捉えていたわけではなくて、精々「母子で俺の愚痴を言ってるのかな……」くらいのものだったのだが。
一所懸命になって娘が誤解を主張するものだから、その勢いに思わず気圧されてしまう。
八幡「お、おう。いや、てっきり俺の素行を愚痴り合っているのかなぁと思っていたくらいなんだが……」
娘「まさか! ママも私も本人にはきつい口調で接することが多いのだけれど、裏ではパパをベタ褒めだもの! 愚痴を言うだなんて、とんでもないわ!」
誤解を解こうと必死になり過ぎて、自分が何を言っているのかわかっていない様子の娘であるが、今、たぶん俺に聞かせるつもりのなかったことを言ったのではないかと思う。
面白いので少しの間押し黙り、このまま娘を泳がせてみようかしらと話を聞く態勢を整えていると、そんな俺の態度に違和感を覚えた様子の娘の口がピタリと止まる。
そして。
娘「あっ、え、これはその……」
夕陽の映える海の水面のように、さっと面を赤くしながら娘は言葉を失った。
何か言い募ろうとして、しかし結局言葉にはできず、うぅと小さく呻きながら恨めしそうな瞳で俺を見る。
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81 : 2015/10/03(土) 23:37:43 -
娘が消えてしばらく。特にすることもなくて、なんとなくメニュー表を眺める。宇治金時にくずきり餅、夏場には涼しそうな印象の水饅頭。日本人の味覚に合うように長い年月をかけて研鑽されてきた伝統の味だから舌に馴染むのは勿論だが、こうして改めて見てみると和菓子は視覚だけでも楽しめることに気付かされる。
と、メニュー表に目を落としていると、ふとある一点で釘付けになる。
どうやら二人静という名前の和菓子があるらしい。
独り静なら心当たりがあるんだがなぁ……。
我ながら上手いこと言えてニヤッとしていると、ちょうど電話を終えて戻って来た娘が「どうかしたの、パパ?」と目を丸くしていた。
八幡「んにゃ、べつに。それよりも雪乃からの電話の内容はなんだったんだ?」
再び娘が対面の席に座ったのを見計らって訊ねる。
娘「ええ。今ね、ママと結衣ちゃんがお茶していたところにいろはちゃんたちも合流したらしくて、これからうちに遊びに来るって。だから、もしも家にいるのだったら、少し掃除をしておいてほしいのだけれどってママから……」
八幡「なんだ、一色も合流したのか。あいつら本当に仲良いよな」
女が三人寄れば姦しいとは言うが、あいつら放っておいたら一生喋ってるからな。
娘「そのあいつらのなかには、勿論、パパも含まれているのよね?」
八幡「ま、まあ、学生時代からの付き合いではあるし、その、なんだ、俺もその輪の中に入っていることもあるが……」
娘「いえ、べつに照れることではないと思うのだけれど」
八幡「だって、今まで友達と呼べる人間が少ない人生を送ってきたものだから、仲が良いとか言われちゃうとリアクションに困る」
娘「理由が切なすぎるわ」
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85 : 2015/10/04(日) 22:59:43 -
袖口を捲って腕時計を見れば、まだ十五時前である。帰るには早い時間のように思えるが……。
娘「そのことだけれど、今日は元より早いうちに帰るつもりだったから大丈夫よ?」
八幡「ん、そうなのか?」
朝の気合いの入れようを思い出すに、てっきり遊び倒すつもりでいるのかと思っていた。
娘「ええ。だって、その、パパはせっかくの休日なのだし……。一日中連れ回すのは悪いわ」
それに、と続けて、娘が冗談めかして唇を尖らせてみせる。
娘「それに、嫉妬したママに太らされるのは嫌だもの」
八幡「じゃあ、逆に太らせてやるか。何をお土産にする?」
メニュー表を指で示しながら娘に問うと、しばらく顎に手を当てて考え込んだのち、「すみません」と店員さんに声をかけた。
娘「いくつか持ち帰りたいのですが、人気商品を数点教えてもらえますか?」
無難で堅実な娘であった。
それから店員さんに薦めてもらった品を包んでもらって、お土産の用意ができるのを店内で待つ。
八幡「もっと中学生らしく、フィーリングに従って自分が食べたいものを包んでもらってもよかったんだぞ?」
娘「いえ、こういう場合は店員さんにお薦めを訊ねるのが結果的に一番良い選択なの。下手なものを薦めると二度と来店してくれなくなる可能性があるから、店の方でも本当に自信のある商品しか薦めないわ。だから、何が美味しいか率直に訊くのが店にとっても私たちにとっても一番なの」
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86 : 2015/10/04(日) 23:08:49 -
八幡「ほぉん、なるほどね。……んで、それは誰の入れ知恵だ? どこの邪悪なお姉さん?」
娘「やめなさい。だから陽乃さんに失礼だってば」
八幡「おい、ばか、誰も陽乃さんとは言ってないだろ」
娘「ほとんど言っているようなものじゃない。もっとも、陽乃さんの教えで間違えていないのだけれど」
でも、やっぱり陽乃さんじゃないか。いや、色々なことを仕込んでくれるのは構わないのだが、他にも小町や一色、由比ヶ浜なども好き勝手に知恵を授けていくものだから、娘がどんどん中学生らしくなくなってきている。
それでも可愛げが失われないあたり、流石のプチのんなのであった。やはり俺の娘が世界一可愛いという真理は揺らぐことがない。
と、そうこうしているうちに土産の用意ができたようで、店員さんが「お待たせしました」と商品を持って来てくれる。
それから、代金を支払い、土産を受け取ると、本に和菓子を抱えて店を出た。
娘「……パパの両手埋まっちゃったわね」
じとっとした目を本と和菓子に落として不服そうに言い募る娘。
八幡「じゃあ腕でも組むか?」
娘「そうしようかしら……」
八幡「え、いや、ツッコミ待ちだったんだが」
それはちょっと……、と断られるのを前提に言ったので、真剣に検討されてしまうと返す言葉に困ってしまう。
そして、困っているうちに腕に暖かな感触があった。ふわりと鼻腔をくすぐる甘い匂いで、本当に娘が腕を組んできたのだと気がつく。俺の肩口の辺りでじゃれつくように踊る娘の髪がいやにくすぐったかった。
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96 : 2015/10/08(木) 22:54:18 -
だが、さらなる不幸がチビはすを襲うようで。
娘「ちょうどいいわ。家に帰ると一色くんがいるのであれば、さっそく総武を受験するように洗脳しないと。場にいる面子も全員総武出身なわけだし、畳み掛けるのであれば今日をおいて他にないわね」
目を細めて企み事を膨らませている様子の娘。
八幡「どうあってもチビはすを手元に置くつもりなんだな」
娘「当然よ。全自動告白お断り窓口……、ではなくて、えっと、そう、一色くんがいれば、高校生活も有意義に過ごせることでしょう」
いつもの澄まし顔が少し崩れて、口角を上げながら娘が言う。
うーん。
八幡「……まあ、捻デレは遺伝するから仕方ないね」
娘「……誰もデレてはいないのだけれど」
八幡「そうか?」
娘「ええ」
父親の目から見て十分デレていたと思うのだが、うちの人間は対人関係において基本的に面倒なところがある人間ばかりだから、あまり強くデレていたとも断言できなかった。
娘「いいかしら、パパ。デレるというのはね、こういうことを言うのよ?」
俺の肩に手をかけて精一杯背伸びをすると、耳元に唇を寄せて「今日は一日付き合ってくれて有り難う。愛しているわ、パパ」と吐息混じりに娘が囁く。
何やらこそばゆい感覚が消えなくて、娘の顔が離れたあとになって耳を服の袖口でゴシゴシと擦った。
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97 : 2015/10/08(木) 22:56:33 -
八幡「俺も楽しかったよ。……その、ありがとうな」
娘の言葉に対して俺も気持ちを返したいと思ったのだが、娘のように「愛している」の言葉が出てこない。
漱石先生の言うように、その言葉は日本人にとってハードルが高いようなので、代わりに「ありがとう」の五音に様々な気持ちを織り交ぜて伝えるのであった。
こんなぶっきらぼうなやり方で正しく気持ちが伝わったかわからないけれど、娘が幸せそうにして俺の肩に頬をすりつけるので、少なくともいくらかは伝わっているようだと安堵した。
そして、娘と二人、家路を辿る。
朝、家を出たときよりも荷物は増えたが、気持ちは軽いままだ。疲れはしたが、心は充実感で満ちている。俺を叩き起こしたとき、娘が言ったように、今日は有意義な一日となった。何よりも俺の娘こそが世界でもっとも可愛いと確信を持てたという点において有意義であった。
しかし、帰るまでがデートであるから、気を抜いてはいけない。
なんなら家に帰ると由比ヶ浜や一色がいるようなので、なおさら気が抜けない。
今日の娘とのデートを反芻してニヤけ、家に帰ってからの一日を考えてさらに頬を弛めるのであった。
おわり
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