ソース: http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1442229084/
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2 : 2015/09/14(月) 20:12:22.58 -
—2015年 7月某日—
—日本・茨城県太平洋沖—
響(ヴェールヌイ)「…………」
夏の盛りなのに、風は冷たい。
空一面を雲が覆っているからだろうか。輸送艇を改造した司令船。私はその舳先に立って、海の向こうをぼうっと見ている。
後ろからは、司令官や姉妹たちの賑やかな声が聞こえてくる。暁「司令官、おにぎりっていくつ持ってきたの?」
提督「なんだ暁、もう腹減ったのか」
暁「ち、違うってば! これはその……そう! 食糧の貯蔵量の確認で」
提督「分かってる分かってる……ちゃんと人数分用意してるよ」
雷「お米とか海苔は大丈夫? 足りなかったらいくらでも作ってあげるわ!」
電「だ、ダメですよ……大事な食糧なんですから」
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3 : 2015/09/14(月) 20:14:18.25 -
提督「そうそう。この船すっとろいからなぁ、下手したら2日はかかるかもしれん」
雷「えぇーっ!?」
暁「もうちょっと速いの無かったの? 司令官!」
提督「文句言うなよ。艤装でウラジオまで行くなんて疲れるだろ? 燃料だって馬鹿にならん。
それに引き換え、この船なら……」ズズッ暁「あっ、何そのイス!」
提督「ほーら、こうやって寝っ転がってても着く」ゴロゴロ
雷「だらしないわねー……」
電「これだから少佐どまりなのです」
提督「……言うようになったな、お前」
響「…………」
暁「…………」
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4 : 2015/09/14(月) 20:18:09.84 -
背後からトテトテと足音が聞こえる。
暁がすぐそばにやってきたようだ。暁「……ねぇ、響。どんなところなの? ウラ、ウラジ……って」
響「ウラジオストク?」
暁「そ、そう! ウラジオストク!」
響「……そうだね。雪はあんまり降らなかったかな」
暁「へぇー、ロシアってどこも真っ白って思ってたけど」
響「流石にそれはね……それに、夏も結構暑かった」
雷「港町だったんでしょ? 横須賀とどっちが立派だった?」
電「おっきな橋があるって聞いたのです」
響「橋? あぁ、あれは最近……」
いつの間にか、雷と電も近くに来ていた。
提督は相変わらず、ビーチベッドみたいな椅子で休んでいる。暁「本で見たけど、あの駅も素敵よね……レディや紳士がたくさん乗ってるのよ、きっと」
提督「こらこら、観光に行くんじゃないんだぞ。合同演習だ、合同演習」ゴロゴロ
暁「司令官だってお休みモードじゃない!」
提督「俺の仕事は向こう行ってからだ。航行は副長さん達に任せたよ。俺よりよっぽど信用できるぞ」
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5 : 2015/09/14(月) 20:22:09.20 -
電「……でも、司令官さん。合同演習って、もっと大規模な艦隊でやるんじゃないんですか?」
雷「そうよね。私たちだけなんて……」
提督「……知ってのとおり、ロシア海軍も近年になって純国産の艦娘を建造し始めた」
提督「ドイツやイタリアに引き続き、旧連合国側も着々と艦娘を増やしてるわけだな」
提督「何せ、深海棲艦は世界中の海にいる……ロシアだって例外じゃない。
北方海域から流れてきた奴が、オホーツクや日本海にたびたび出没してるんだ」提督「ただ、厄介なことに……何でもあの辺りは、潜水艦タイプが妙に多く出てくるらしい。
それなのに、ロシア側の艦娘隊には、対潜のノウハウがほとんど無い……」響「……ほとんど、ってことは無いと思うよ」
雷「?」
提督「ま、あくまで聞いた話だからな。だが何にせよ、ロシア側は対潜技術の向上を求めている」
提督「そこで、今回の演習ってわけだ。日本艦娘の優れた対潜技術を、何としてもモノにしたいんだろう」
電「でも、それなら由良さんや五十鈴さんが……」
提督「何言ってる。『横鎮の六駆』って言やぁ、対潜戦闘じゃトップクラスって有名だぞ?」
雷「あー……たくさんやったわよね、対潜哨戒」
暁「由良さんたちにも褒められたわよね」
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6 : 2015/09/14(月) 20:26:21.00 -
提督「あちらさんが欲してるのは、装備でも性能でもない。経験だ」
提督「俺が手塩にかけたお前達が、その実績を見込まれて選ばれたんだ。
……光栄なことじゃあないか、なぁ」電「……はい!」
暁「ま、まあ当然よね! そのくらい」
雷「まっかせなさい! ロシアの子たちもしっかり面倒見てあげるわ!」
響「……ふふっ」
暁「あ……」
響「? どうしたんだい?」
暁「ううん、その……ちょっと安心したの。響、さっきからずっと怖い顔だったじゃない」
響「え? ……私が?」
電「はい……ちょっとだけ」
雷「いつも以上に無口だったしね。あんまり、ロシアに良い思い出が無いのかなって。
……ごめんなさい。色々聞いちゃって」 -
7 : 2015/09/14(月) 20:30:10.74 -
響「……嫌な思い出なんかじゃないさ」
吹きつける風に、帽子を押さえる。
指に触れる、小さな2つの感触。団結の槌と鎌、希望の星。響「いつだって変わらないよ。楽しいことも、悲しいことも……全部あったから、今の私がいる。
……こうやって船の上に立ってると……いろんなことを思い出すんだ」暁「……ねえ、響。よかったら……」
響「……昔話?」
暁「あっ、だ、ダメならいいのよ。でもね、妹が寂しくなかったかっていうのは、お姉ちゃんとしてしっかりと……」
雷「あ、私聞きたい聞きたい! 響、昔の事はぜーんぜん話してくれないじゃない!」
響「まあ、あんまり……そういう機会がなかったからね」
提督「……そうだな。俺もちょっと興味がある」カチャカチャ
電「響ちゃんさえよければ……私も聞いてみたいのです」
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8 : 2015/09/14(月) 20:34:12.98 -
響「…………」
暁「ど、どう? 響……」
暁はちょっと不安そうに、雷と電は目を輝かせて、私の答えを待っている。
提督は提督で、人数分の椅子を用意しはじめた。いつの間にか甲板に置いていたらしい。響「……そうだね。これも、いい機会かもしれない」
私の返事を合図に、みんながパッと笑って椅子に座る。
自分の事を話すと思うと、なんだか少しむず痒い。
椅子に座りながら、司令船の進む先に目をやる。
さすがにまだ、あの広大な大陸は見えない。響「……実はね。ちょうど、この時期だったんだ」
電「えっ?」
響「……1947年の7月。あの時は夜だったけど、やっぱり空は曇っていた」
響「星も月も、ちっとも見えない。……ほんとうに、暗い夜だった——」
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9 : 2015/09/14(月) 20:36:01.93 -
эп.1
Бухта Золотой Рог
—金角湾—
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10 : 2015/09/14(月) 20:40:05.39 -
—1947年 7月7日 夜—
—ソ連・ウラジオストク近海—
—駆逐艦「ヴェールヌイ」・甲板—
水兵A「……まるで信じられんね」
水兵B「馬鹿言うな、俺だけじゃない……ソ連の奴らも見たって言ってんだ。
1人や2人なんて数じゃあない」水兵A「四六時中酒浸りの奴らだ。お前も一緒に飲んでたんだろうが」
水兵B「あんな酷いもん飲んでられっか! 本当だ、本当にいたんだよ……」
水兵A「……『白い髪の女の子』ねぇ……」
水兵B「誓ってもいい! 昨日の真夜中だ。艦首に、俺のガキと同じくらいの、髪の真っ白な女の子が……
そうだ、黒い帽子を被ってた。服も確かに水兵の……」水兵A「へいへい……で、別嬪だったか?」
水兵B「あ? まぁ……多分」
水兵A「そりゃあいい。一度はお目にかかりたいもんだね」
響「どうだろう……やっぱり人によるみたいだよ。こっちの人は才能あるけど」
水兵B「 」
水兵A「……ん?」
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11 : 2015/09/14(月) 20:42:05.46 -
——泡を吹いて倒れた水兵さんを、もう一人が慌てて運んでいく。
ちょっと悪いことをしてしまったかな。
でも、あんなに若いのに私たちが見えるのは、結構すごいことかもしれない。この頃の私たちには、まだ身体が無かった。
艦の魂、艦の化身……平たく言えば、フネの幽霊。
当然、身体がないなら艤装もない。だから、外見は普通の人と変わらない。響「…………」
夜の海は静かだった。
私の他に海を走るのは、ソビエトから来た随伴の潜水艦。
……捕虜を連行する憲兵だ。響(……もう、2年も経つんだね)
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12 : 2015/09/14(月) 20:44:05.52 -
——実を言うとね。あの当時……私は、かなり腐っていた。
姉妹はみんないなくなって、私だけが沈み損なった。
最後の最後まで機銃を撃っても、私たちの負けは覆らなかった。……戦い続けたかったわけじゃない。沈みたかったわけでもない。
ただ……どうしようもない虚しさしか、私には残っていなかった。復員艦の仕事は嬉しかったよ。
やっと、兵隊さんたちを休ませてあげられる……そう思うと、虚しさも吹き飛んだ。そして、全てが終わったら……私も休みたいと思った。
生まれ故郷の舞鶴に帰って、毎日静かに海を見て……。けれど……
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13 : 2015/09/14(月) 20:48:03.91 -
水兵A「……ったく、あいつは……」
ソ連水兵「Привет!」ドタドタ
水兵A「え?」
ソ連水兵「Где инженер? инженер!」
水兵A「インヂ……ああ、Кроме того, турбины?」
ソ連水兵「Да. Посмотрите на него.」
水兵A「はいよ……どこ行ったかな、おやっさん」
響「…………」——私は、売られた。
かつての敵国、ソビエト連邦へ。 -
14 : 2015/09/14(月) 20:50:06.02 -
いや、その言い方は正しくないかもしれない。
私が引き渡されたところで、祖国には何一つ得がない。
……賠償だ。敗北のカタに、捨てられたんだ。あれだけ、必死で戦ったのに。
あれだけ、姉妹を失ったのに。
あれだけ、兵士を帰したのに。——私は、祖国に捨てられた。
——そんな風にしか、思えなかった。
響「…………」
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15 : 2015/09/14(月) 20:52:04.53 -
今なら分かる。私が選ばれたのは、ただの運だった。
抽選で選ばれた賠償艦。国の人たちも、私を捨てようとしたわけじゃなかった。……でも、でもね。
あの時は、そんなの、知る由もなかった。響「……信頼、か……」
『ヴェールヌイ』。
ウラジオストクに運ばれる前、ナホトカという港に立ち寄ったとき。
ソ連の人から、その名を貰った。
水兵さんの話によれば、「信頼できる」って意味らしい。
……私は、もう、「響」じゃなかった。響(……何が信頼だ。こんなことになって……何を信じればいいって言うんだ)
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16 : 2015/09/14(月) 20:56:09.90 -
響「……?」
ふと、夜の海から視線を感じた。
右舷方向に目を凝らす。ちょうど、ソ連の潜水艦がいる辺りだ。?「…………」
海上を進む潜水艦。その上に立った人影が、こちらを見つめていた。
短く切り揃えられた、淡い銀色の髪。月明かりもないのに、ぼうっと輝いていた。
おそらくは、あの潜水艦の艦娘だ。
女の子に間違いないはずだけど、遠目からは繊細な少年のようにも見える。響「…………」
しばらく互いに視線を交わし、それから自然に目を逸らした。
見据えなければならないものは、他にいくらでもあった。 -
17 : 2015/09/14(月) 20:58:11.31 -
—ウラジオストク・埠頭—
到着したのは翌日の未明。
港に係留され、諸々の手続きが行われる中、私は埠頭を散策していた。
艦から離れすぎない距離ならば、私たちは自由に歩き回れた。
横須賀や舞鶴にいたときも、しばしば鎮守府内を見て回ったものだ。響(……意外と広い)
繋がれた艦船の数は多い。
そのほとんどは、小型・中型の潜水艦だった。?「——、———」
?「——? ————、——……」
埠頭にいる他の艦娘たちから、奇異の視線が向けられる。
何を話しているのかは聞こえなかった。
距離もあるし、なによりロシア語も分からない。 -
18 : 2015/09/14(月) 21:00:04.46 -
?「…………」響(ん?)
あてもなく歩いている途中、背の高い艦娘とすれ違った。
髪型は少し横に広がったおかっぱ……今で言うボブカットかな。
色は、まぶしいくらいの金色。
ギザギザに切られた前髪の下から、鋭い眼光が覗いていた。意志の強そうな、薄茶色の瞳だった。
服装は士官風で、派手な飾りはない。巡洋艦かもしれないと、何となく思った。金髪「……япошка」
すれ違いざまに、金髪がぼそりと言う。
やはり意味は分からない。でも、察せられるものはあった。——決して、歓迎はされていないらしい。
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19 : 2015/09/14(月) 21:04:04.04 -
—基地内部・廊下—
響「…………」
その後も、いろいろ歩き回って……
夜が更けるころには、埠頭も基地も、ほとんどの施設を見終わってしまった。
響(……戻ろうか、そろそろ)そう思って、来た道を引き返そうとした……その時だった。
?「……!」バッ
響「!?」
振り向いた先のつきあたりに、一瞬だけ小柄な人影が見えた。
角に隠れたみたいだけど、誰かがあそこにいるらしい。
小さな三つ編みのお下げが、廊下の角からはみ出している。
-
20 : 2015/09/14(月) 21:08:10.22 -
響「…………」
?「…………」
響「…………」
?「…………」ソローッ
しばらく黙って見ていると、その子がおそるおそる顔を出した。
三つ編み「……Э-э……」三つ編み「Привет, как дела?」
響「……?」
三つ編み「Я Тбилиси. Как тебя зовут……?」
響「…………」
おどおどしながらも話しかけてくれた。それは嬉しかったけど、返事をすることはできなかった。
すまないが、ロシア語はさっぱりなんだ。
気の毒だとは思ったが、視線を返すぐらいしかできない。
-
21 : 2015/09/14(月) 21:12:06.65 -
響(……駆逐艦、かな)
——目の前の女の子を、じっと見据える。
斜めに分けた亜麻色の髪を、両方の耳のやや後ろから、三つ編みにして垂らしている。ぱっちりとした群青色の目は、どこか不安そうに震えていた。
一目で駆逐艦と分かる、幼い顔だった。服は、ベルトで留めた白い水兵服。
青と白の横縞が、襟のところから覗いていた。
下には濃い灰色のスカート。足には白いタイツを履いていた。三つ編み「——!!」
目が合うや否や、その子はびくっと身を震わせる。
そして再び角に引っこみ、そのままどこかに行ってしまった。……目を凝らしすぎたのかもしれない。にらんだつもりはなかったんだけどね。
顔も少し、怖かったかな。響「…………」
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22 : 2015/09/14(月) 21:16:04.89 -
?「あーあー、怖がらせちゃって、まぁ……」
響「っ……!?」
背後から聞こえた声に、慌てて振り向く。
いつの間にか、別の誰かが来ていたらしい。——しかし、それよりももっと驚いたのは……
響「日本……語……?」
?「……戦争に来たわけじゃあないんだ。
適当に仲良くやっといた方が、互いのためだと思うけどね」
背の高い1人の艦娘が、廊下の壁にもたれかかっていた。
髪は深い栗色。後ろにひっつめ、団子にしてまとめ上げている。
額の真ん中と両方のもみあげからは、波打つ後れ毛がひょろりと垂れ下がっていた。響「……ソ連の艦なのかい?」
?「もちろん。太平洋艦隊所属、正真正銘のソビエト艦だ」
陰りのある金色の瞳が、垂れ目がちな目から覗いていた。
口は片側だけが小さく吊り上がって、どこか冷たい笑みを作っていた。
良く言えば頭の切れそうな、悪く言えば小賢しそうな、そんな印象の人だった。
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23 : 2015/09/14(月) 21:20:08.08 -
響「……どこでその言葉を?」
?「この国から一歩も出ちゃあいないよ。
真面目に敵の言葉を学んでたのが、私ぐらいのもんだったわけ」士官服を女性用に仕立て直したような服。
縦2列に並んだ金のボタン、腰を引き締める革のベルト。前側に切れ目の入った細いスカート。——そう言えば、さっきすれ違った金髪の艦娘と、そっくりそのまま同じ服だ。
なら、同じ型の巡洋艦だろうか。響「……なら、独学で?」
?「お勉強が好きなもんでね……暇つぶしにパラパラやってたら、いつの間にやら先生役だ」
響「……先生?」
流暢に日本語を話しながら、その人がゆっくりと歩いてくる。
私より、頭2つ分は背が高い。
?「巡洋艦、ラーザリ・カガノーヴィチ。金角湾イチのインテリだよ。……自分で言うのも何だけど。
ここの代表から、あんたの世話役を仰せ付かってる」
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24 : 2015/09/14(月) 21:24:04.82 -
へらっとした敬礼をかまして、その人——ラーザリが言う。
どんな形であれ、敬礼には敬礼で返さねばならない。響「駆逐艦、ひび……ヴェールヌイ。本日付けで、ソ連海軍太平洋艦隊に——」
ラーザリ「ああ、いいからいいから、そういうの。大体のことはもう聞いてる」
響「……そうか」
ラーザリ「ま、世話役なんて言ってもね、せいぜい言葉を教えるぐらいだ」
ラーザリ「その後は自分で適当にやってよ? 面倒見のいい方じゃないんでね……」
響「……自分のことは自分でやるよ」
ラーザリ「ん、ならいい…………」
響「……? 何か?」
ラーザリ「……いや。ヤポンのセーラー服は、どんなもんかと思ってね。
バッジは適当に着けておくといい。うるさい奴もいるんだよ……」響「バッジ?」
ラーザリ「貰ってない? 鈍器と刃物とお星様……」
響「……?」
そう言われて、ポケットの中を探る。
——指の先に、小さな感触があった。響「……!」
ポケットから取り出して、目を疑う。
小さなバッジが確かにふたつ、手のひらの中で輝いていた。 -
25 : 2015/09/14(月) 21:28:28.60 -
響「おかしいな、いつから……」
ラーザリ「ふぅん……ま、そんなもんか。私たちだって、気付いたら持ってた」
響「識別章だろう? どこに着けるんだい?」
ラーザリ「どこに着けたって同じだよ。ほとんどの奴は気にしちゃいない。
……気にする馬鹿もいるけどね」響「じゃあ、君はどこに?」
ラーザリ「ポケットの中」
響「…………」
——なるほどね。
どうにも、こういう人らしい。ラーザリ「さて……来たばかりで悪いけど、さっそく授業だ」
響「え?」
ラーザリ「できるだけ早いうちに、って指示でね。
ペラペラになれとは言わないけど……聞き取れるようにはなってもらう」ラーザリ「艦長の指令が分からないんじゃ、航行どころじゃないからな……」
響「…………」ラーザリ「……改めてようこそ、ヴェールヌイ。
東の最果て、ウラジオストクへ」
-
26 : 2015/09/14(月) 21:32:06.55 -
——
————
————————雷「へえー、じゃあ、その人がロシア語の先生なのね?」
響「うん。それから1週間は、朝から晩まで勉強づけさ」
提督「……1週間?」
響「? ああ……」
提督「……あ、1日中勉強したのが?」
響「読み書きと会話ができるまで、だけど」
提督「」
電「す、すごすぎるのです……」
響「ほかにやることも無かったしね。それに、私たちは物覚えのいい方だろう?
乗っていた水兵さんのことだって、1人1人ちゃんと覚えてる」雷「あ、それもそうね」
提督「……自信無くすなぁ。向こうの通訳は任せたぞ」
響「……兵学校でロシア語やってたんだろう?」
提督「今は防衛大。……そりゃまあ、3年は勉強したがよ、今じゃ日常会話も怪しいんだから」
響「あれ? おかしいな、この前……」
-
27 : 2015/09/14(月) 21:36:05.48 -
暁「でも響、そのラーザリさんって人、結構ヘンな人だったのね?」
響「うん? まあ……変わった人ではあったかな、確かに」
雷「ロシアの艦娘って、もっとこう……こわーい人かと思ってたけど」
響「……まあ、少なくとも彼女は違ったよ」
暁「ねえ司令官。インテリ、って?」
提督「ん? そりゃまあ、俺みたいな奴……」
響「…………」シラーッ
提督「……知識階級、っていう意味の言葉でな。元はロシア語だ。
お役人とか文学者とか、頭を使うことを仕事にしてる人たちだよ」暁「ふぅん……」
雷「話を聞いてるだけだと、なんだか適当そうな先生だけど……
教え方はちゃんとしてたの?」響「……そうなんだよ。今でも不思議なんだけど……」
————————
————
——
-
28 : 2015/09/14(月) 21:40:11.13 -
—1947年 7月 第2週—
—基地内部 図書室—
響「あー、あな、すとぅじぇんた……」
ラーザリ「студентаは男性名詞だよ。紹介したいのは女の子、つまり……?」
響「……! す、すとぅじぇんか」
ラーザリ「正解、次は発音だ。『де』は音が一緒にならないように、こう……『де』……」
響「じえ」
ラーザリ「……へっ、こりゃ大変だ」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ラーザリ「Над седой равниной моря ветер тучи собирает」
響「……上? 灰色の……ああ、灰色の海の上を……
風、雲……『風と雲が集まる』、でいいかな?」ラーザリ「だいぶ耳も良くなったか……けど今、1個抜かしたよ」
響「あれ?」
ラーザリ「Над седой равниной……」
響「ああ、 равн……ええと……」
ラーザリ「シベリアにはそこら中にあるなぁ……」
響「——『平原』! 『灰色の海原を』……」
ラーザリ「ん。まあ、まだまだ簡単だけど……」
-
29 : 2015/09/14(月) 21:44:06.44 -
ちょうどその時。
部屋の外から、消灯時間を知らせるラッパが聞こえてきた。ラーザリ「……もう終わりか。まーた1日使っちゃったよ。
今日あたり、哨戒の報告書でも読んでやろうと思ってたけど……」響「……ごめん」
ラーザリ「……ま、何だっていいけどね……」
——
————
————————響「……面倒だなんて言いながら、ちゃんと分かるまで教えてくれた。
『暇じゃないんだ』なんて言ってるくせに、一日中付きっ切りで教えてくれたよ」暁「へぇー……」
響「……彼女とは他にも色々あったし、手放しで褒められるような人でもなかった。
けれど、恩を感じたのは本当だ」響「もし、ラーザリに言葉を教わらなかったら……私はきっと、独りのままだった。
淋しさに耐え切れなくなって、もっとねじくれていたかもしれない」響「だからね、実を言うと、ラーザリのことは……今でも結構、尊敬してるんだ。
本人は嫌がるだろうけどね……」電「……ふふっ」
————————
————
—— -
30 : 2015/09/14(月) 21:46:08.77 -
—1947年 7月中旬 昼—
—基地内部 廊下—
響(……さて、今日も……)
三つ編み「…………」ソーッ
響「あ……」
三つ編み「——!」サッ
響(……また、隠れてしまった)
響(そう言えば……あの子、毎日……)
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31 : 2015/09/14(月) 21:48:05.68 -
—図書室—
響「『——あたかも炎の蛇のように、これら稲妻の反映は、海にもがいて消えてゆく』」
響「『嵐だ! もうすぐ嵐が来るぞ!』」
響「『勇気あふるる海燕、怒り叫ぶ海の上を、稲妻を縫って飛んでいる』」
響「『そして、勝利の預言者は叫ぶ。——嵐よ、激しく来たれ!』」
ラーザリ「…………」
響「…………ふぅ……」
ラーザリ「……Хорошо(上出来だ)。発音もおかしくない」
響「……ハラショー……」
ラーザリ「ん?」
響「なんだか、良い響きだ」
ラーザリ「へぇ、ヤポンの艦も駄洒落を言うのか」
響「…………」
ラーザリ「……分かった、分かったよ。こっちも冗談。
しっかし、1週間でここまでとはね……」響「まだまだだよ。読むのは少し慣れないし……」
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32 : 2015/09/14(月) 21:52:03.81 -
ラーザリ「こうやって普通に話せてるんだ。目標は十分に達成したよ。
……私の仕事も、ようやく終わりだ」響「…………」
ラーザリ「ま、なんだ……慣れないことはするもんじゃないね。
もう教師役なんざ、頼まれたって——」響「……ありがとう」
ラーザリ「……へ?」
響「……忙しいのに、ずっと付き添ってくれて……
ラーザリがいてくれて、ほんとうに良かった」ラーザリ「…………」
ラーザリ「……そんな顔もするんだ、あんた」
響「え?」
ラーザリ「……いいや。それに、礼なんていいよ。
私は自分の仕事をしただけ。あてがわれたのもたまたまだ」響「……有り難いよ、それでも」
ラーザリ「…………」
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33 : 2015/09/14(月) 21:56:03.82 -
響「……そうだ、ラーザリ」
ラーザリ「ん?」
響「最初に会った日に、こんなお下げの女の子がいただろう? ほら、あの三つ編みの……」
ラーザリ「ああ、トビリシか」
響「トビリシ……?」
ラーザリ「駆逐艦だよ。……いや、正確には何て言ったかな……」
響「やっぱり、この艦隊の?」
ラーザリ「そりゃまあ、ね。……私はそこまで親しくないけど。いっつも1人で何かやってる」
響「……いつも? 姉妹艦とかは……」
ラーザリ「さぁね……少なくとも、ここにはいないらしい。
他の駆逐艦の連中も、ほとんど埠頭には出てこないし……あいつが何か?」響「いや……いいんだ」
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34 : 2015/09/14(月) 21:58:02.92 -
——姉妹艦がいない、か。
最初から造られていないか、別の艦隊にいるか、あるいは……響(……よそう。私が気にすることじゃない)
響(……でも……)
『Привет, как дела?』
『Я Тбилиси. Как тебя зовут……?』
——あの時。
あの子は、なんて言っていたんだろう。響「…………」
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35 : 2015/09/14(月) 22:00:07.73 -
—埠頭—
響「…………」
夜の埠頭を当てもなく歩く。
こうやって外を見て回るのも、ひどく久しぶりな気がした。?「だ、駄目です! 無理ですよっ、そんなの!」
?「——やかましい! 今度ばかりは本気だぞ!」
響「……?」
倉庫の陰で、誰かが言い合っている声がする。
見てみれば、あの三つ編みの女の子と、最初の日にすれ違った金髪だった。金髪「奴ら、私たちを完全に締め出す気だ。哨戒任務の報告を問うたら……奴ら、何て言ったと思う!」
三つ編み「え、えぇ?」
金髪「——『輸送艦が知ってどうする』……そう言って、下品に笑っていた!」
金髪「同志の、ソビエトの守護を託された私を! 役立たずの輸送艦呼ばわりだ!」
三つ編み「えと、その、あの……」
金髪「このままでは、太平洋艦隊は潜水艦に乗っ取られる。
現に奴らの棟梁が、何食わぬ顔で代表気取りだ! こんな横暴が許せるか!?」三つ編み「お、横暴って、別に……」
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36 : 2015/09/14(月) 22:04:12.81 -
前は気付かなかったけど、金髪の人も三つ編みの子も、
左胸に例のバッジを着けていた。金髪「……蹶起だ。こうなれば革命しかない。水上艦総出で抗議集会を開く!」
金髪「駆逐艦たちも束ね上げれば、奴らも無視できない規模になるぞ!
トビリシ! あいつらを全員集めろ!」三つ編み「むっ、無理です! だから!」
金髪「無理とは何だ! 嚮導艦だろう!?」
三つ編み「だっ、だって、ほとんど話したことないし、それに…… ——!」
金髪「……? ——!」
三つ編みの子と金髪が、私の存在に気付いたらしい。
私はというと、かなり驚いていた。気づかれたことに対してではなく……ロシア語の会話が完全に理解できたことに。
——為せば成る、とはよく言ったものだよ。
-
37 : 2015/09/14(月) 22:06:05.79 -
響「…………」
金髪「……何だ、あの日本艦か」
三つ編み「あ、ええと……」
金髪「盗み聞きか? 悪趣味なものだ……ヤポーシュカの艦は皆こうか?
それとも、間諜でもしていたつもりか」三つ編み「! あ、あの……!」
金髪「気にするな、どうせ分かりはしない。 ……全く、得体の知れん奴だ」
金髪「こっちに来たきり、一言も喋らん。一体何を考えて……」
響「……そうか。なら、これで少しは分かるかな?」
その一言を発した瞬間、空気がぴしりと凍った気がした。
ソビエト艦の2人の顔が、一瞬のうちに驚きに満ちる。 -
38 : 2015/09/14(月) 22:08:13.30 -
金髪「——ッ!?」
三つ編み「……あ……え……?」
響「……盗み聞きをして悪かった。
でも、間諜なんてするつもりはない。もう、そんな事をしたって仕方ないんだ」金髪「…………」
ばつの悪そうな顔をして、金髪の人が去っていく。
別にこちらに非は無いけれど……何となく、悪いことをした気分だった。三つ編み「……え、えっと……」
響「大丈夫か?」
三つ編み「あっ、う、うん……」
-
39 : 2015/09/14(月) 22:12:06.82 -
響「……あの時は、だんまりですまなかった」
三つ編み「え?」
響「言葉は分からなかったけど……話しかけてくれて、嬉しかった」
響「ちゃんと喋れるようになったから、改めて話してほしいんだ」
三つ編み「…………」
響「……?」
三つ編み「……っ……!」ポロポロ
響「——!?」
響「な……え? どうしたんだ……!?」
三つ編み「ちっ、ちがうの……ぐすっ、その……
きっ、嫌われてなくて、よかったって…………」響「……はい?」
-
40 : 2015/09/14(月) 22:16:09.56 -
三つ編み「だ、だって、あんなに怖い顔で……な、なにも話してくれないし、だから……!
うぅぅ……よかったぁ……よかったよぉ……」響「あ……そ、そう……」
三つ編み「わ、わたしね、トビリシっていうの。嚮導駆逐艦のトビリシ……」
涙を拭いながら、その子……トビリシが笑う。
私よりも、ほんの少しだけ背が高い。響「駆逐艦の、ひ……ヴェールヌイだ。よろしく」
トビリシ「ヴェールヌイ……すてきな名前ね」
響「……そうかい?」
トビリシ「ねえ、ヴェーニャって呼んでいい?」
響「え?」
トビリシ「あっ、い、嫌ならいいんだけど……」
-
41 : 2015/09/14(月) 22:18:20.07 -
響「……ううん、好きに呼ぶといい。……よく分からないけど」
トビリシ「本当!? よかった……
あっ、そうだ! ヴェーニャ、ここに来たばかりでしょう?」響「うん? まあ、まだ1週間ぐらい……」
トビリシ「ここのこと、色々教えてあげる! ついて来て!」ギュッ
響「えっ、ちょ、ちょっと……!」
私の手を握ってトビリシが駆け出す。
彼女の賑やかな基地案内は、日付が変わるまでずっと続いた。——これが、最初の一歩だった。
ソ連で初めての、駆逐艦の友達。そして……ソ連で一番の親友。長い友情の、始まりだった。
-
42 : 2015/09/14(月) 22:22:08.61 -
——
————
————————響「……これが、最初の1週間。何て言おうか……濃かったよ」
雷「……友達、ちゃんとできたのね」
響「うん……いや、何かひっかかるけど」
暁「でも、その金髪の人……なんだかちょっとイヤな感じね」
響「……仕方ないよ。彼女も色々とあったんだ」
電「あ……じゃあ、その人とも?」
響「もうちょっと後の話だけどね。それから——」
『プツッ——提督、提督。至急ブリッジへお戻りください——』
提督「あ……ったく、しょうがないな、もう……」
響「何だろうね?」
提督「さぁ……航行ルートがどうのって話かもしれん。
ま、いいや。すぐ戻るから、話進めないでくれよ?」響「Да, 司令官」
-
43 : 2015/09/14(月) 22:24:08.91 -
甲板を去る司令官。
後には私たち姉妹だけが残った。暁「ね、ね、響。そのトビリシちゃんって子のこと、もっと教えて!」
電「響ちゃんの、最初の友達ですもんね」
雷「結構明るい子だったんでしょ? もう寂しくなんてなかったのよね」
響「……まあ、うん。そうだね。そうだった。
明るくていい子だったよ、本当」響(……だけど……)
-
44 : 2015/09/14(月) 22:28:05.27 -
————————
————
——トビリシ「それでね、あの小屋が薪小屋でね。湿っちゃったのもずっと置いてあるの。
困るわよね、間違えちゃったら。急に火の勢いが悪くなっちゃうわ。
あと、あ、そうそう! ここからは金角湾がぜんぶ見えるの!
あそこに立ってるのがアパートでね……そうだ! あの辺りにはよく子供たちが……」ペラペラ響(……だ、誰か……)ゲッソリ
【Продолжение следует…………】
-
45 : 2015/09/14(月) 22:29:28.25 -
第1話終わり だいたい全12話ぐらいの予定
次回はまた近日中に -
51 : 2015/09/18(金) 21:11:51.03 - 第2話、長くなったので2~3回に分けて投下します
-
52 : 2015/09/18(金) 21:12:31.61 -
—2015年 7月某日—
—日本・東北地方沖—
提督「ふー……あ、悪い。お待たせ」
響「少し遅かったね。どうしたんだい?」
提督「いや何だ、低気圧が来てるらしくてな。まあ、向こうに着くまでは大丈夫だろ」
響「そうか……」
電「それで、響ちゃん。お友達が出来てから、どうなったのです?」
暁「決まってるじゃない! 着々と人脈を広げていって、『響王国』ができたのよ!」
雷「そうそう! ロシアの海で暴れまわったのよね!」
響「いや、その……そもそも、任務についてたのは最初の1年だけなんだ」
暁「えぇー?」
-
53 : 2015/09/18(金) 21:16:47.66 -
響「48年には前線から退いて、それからはずっと練習艦。
たまに海に出ることもあったけど……戦闘なんて一度も無かったよ」雷「なーんだ……」
電「でも、戦いが無いのが一番なのです」
響「そうだね……あ、でも、演習だったらたくさんやったよ」
提督「演習?」
響「うん。……と言っても、水兵さんのやるような、本当の演習じゃないけどね」
暁「どういうこと?」
響「……私たちだけで、自主的にやったんだ。
だいぶ遊びも入ってたけど……それでも、みんな本気だった」提督「……? 艤装……は付いてないよな? その時」
響「……まあ、聞いてくれれば分かるさ。
あの演習があったから……私は本当の意味で、みんなの仲間になれたんだ」 -
54 : 2015/09/18(金) 21:20:02.14 -
эп.2
Возьмите дрова
—薪を取りて— -
55 : 2015/09/18(金) 21:23:59.80 -
—1947年 8月中旬 夜—
—ソ連・ウラジオストク埠頭—
響「……ふぅ……」
ナホトカへの輸送任務を終え、本拠地のウラジオストクへ帰還する。
艦隊を構成するのは、私と2隻の駆逐艦、そして旗艦のトビリシだ。トビリシ「お疲れさま、ヴェーニャ」
響「ああ……」
トビリシ「どう? お仕事はだいぶ慣れた?」
響「……お仕事、ね……」
修理や整備は万全のはずだけど、何となくガタが来ているのは否めない。
——仕方ないか。ずいぶんと無茶をしてきたんだ。響「……トビリシは速いね」
トビリシ「そ、そう?」
響「ついていくだけで精一杯だよ」
トビリシ「……ありがとう。でも、わたしだってあれが全速力よ。
ほんとはヴェーニャのほうが速いかも……」響「まさか」
トビリシ「ほんとうよ。なんだったら、追い越してくれたってよかったのに」
響(……や、駄目だろう、それ)
-
56 : 2015/09/18(金) 21:27:59.62 -
トビリシ「……ねえ、ヴェーニャ。今日はもう任務終わり?」
響「ん? うん、確か」
トビリシ「じゃあ……えっと……どうする?」
響「……? どうするって……好きに過ごすけど」
トビリシ「……そう……」
響「…………」
トビリシ「…………」
響「……どこに付き合えばいいんだい?」
トビリシ「——!」パァァ
響(しょうがないな、この子は……)
-
57 : 2015/09/18(金) 21:32:09.32 -
—基地内部・食堂前 廊下—
響「——ボルシチ?」
トビリシ「そう! この時間なら、明日のぶんを仕込んでるのが見られるのよ。
豚肉でじっくりブイヨンをね……」響「見せたいものって、それかい?」
トビリシ「……興味ない?」
響「いや……別にその、食べられるわけでも……」
トビリシ「み、見てるだけでも楽しいじゃない」
響(そうかな……?)
トビリシ「それに、ただ見てるだけじゃないのよ。
おいしそうに食べてるみんなの顔を、頭の中で考えるの。
そうしてると何だか、ほわーってしてきて……それが本当に楽しいんだから」トビリシ「……そりゃあ、まあ……ちょっとは、うらやましいけど」
響「へぇ……」
トビリシ「おじゃましまーす……」
先導するトビリシが、食堂の扉をゆっくりと開く。
誰もいないのに扉がバタンと開いたら、兵隊さんが怖がってしまうからね。
本物の幽霊みたいに、壁や扉をすり抜けられたら便利なんだけど、
私たちではそうはいかない。響(……あれ? あそこ……)
-
58 : 2015/09/18(金) 21:36:08.41 -
—食堂—
金髪「——なぜ奴のことを黙っていた」
ラーザリ「別に大した理由じゃない。難癖付けてイビりそうなのがいたからね……」
金髪「……何だと?」
ラーザリ「自覚があるなら結構だ。早いとこ改めてほしいもんだね。
誰彼構わず突っかかってさぁ……」金髪「だが、ラーザリ……!」
ラーザリ「そもそも、あれは私の仕事だった。私が任された仕事なんだ。
お前に報告する義務なんて無いよ」金髪「……それでも、義理ぐらいはあっていいはずだ! 違うか!?」
ラーザリ「姉妹にいちいち御伺いを立てるのが『義理』か?
どんな恥かいたのか知らないけどね、私まで巻き込まないでほしいもんだ」金髪「……こ、この……! ああ言えばこう言う……!」
ラーザリ「だからさぁ……ん? おぉ、お帰り」
金髪と言い争っていたラーザリが、私たちに気付いて手を挙げた。
金髪はこちらを一瞥し、口をへの字に歪ませる。 -
59 : 2015/09/18(金) 21:40:06.55 -
ラーザリ「どうだった、初任務は」
響「やっぱり少しガタが来てるね。まだしばらくは大丈夫だけど」
ラーザリ「ああ、そりゃ結構だ」
金髪「…………」
ラーザリ「……そうだ。こいつが面倒かけたらしいね」
響「面倒? 別に……」
金髪「…………」
ラーザリ「こいつは姉妹艦のカリーニン。私とは似ても似つかないノータリンで……」
カリーニン「ラーザリ! よくも姉に向かって——!」
ラーザリ「へいへい……」
響「姉? ラーザリの?」
ラーザリ「造られた順じゃあ、そうなってる……ほら、お前も何とか言えば?」
カリーニン「…………」
響「…………」
-
60 : 2015/09/18(金) 21:44:12.48 -
カリーニン「……マクシム・ゴーリキー型巡洋艦、3番艦のカリーニン。
ヴェールヌイと言ったな、お前」響「……ああ」
カリーニン「いいか日本艦! 陰口にならないようにハッキリ言ってやるが!
私はお前を信用してない!」響「はぁ……そうかい」
カリーニン「ラーザリやトビリシはどうか知らんが、この私の目は誤魔化せないぞ」
カリーニン「ヘンな真似をしたら、すぐにでもこの艦隊から追い出してやる!
ソビエト艦の誇りにかけてな! それだけはしっかりと覚えておけ!」そう言って、食堂を早足で去っていくカリーニン。
——ここまで敵意をむき出しにされると、かえってすがすがしいものだ。ラーザリ「……ハァ……」
響「勇ましい人だね」
ラーザリ「……口だけだよ。まともな戦闘なんて一度もやってない。
——ま、あいつだけの話じゃないけどね」トビリシ「…………」
-
61 : 2015/09/18(金) 21:48:20.28 -
響「……その、前の大戦では?」
ラーザリ「あいつは輸送任務がうやむやで中止。私に至っては建造中だよ」
トビリシ「わたしも、あのころは演習ばかりで……」
ラーザリ「この極東じゃ、戦闘経験のある艦のほうが少ないんだ。
ましてや、あんたみたいな歴戦のフネは——」響「…………」
ラーザリ「……くだんない話だったかね。
ま、とりあえずさ。あの馬鹿に何言われたって気にしなさんなよ」響「そう言えば、彼女はどこに?」
ラーザリ「さぁねぇ、まーた例の『訓練』かもね」
響「訓練?」
ラーザリ「爆雷投下だ何とか言って、小石とか薪を海に投げてる。
……正直、意味ないと思うんだけど」トビリシ「まあ、実際にやるのは水兵さんですもんね」
響「……なんだ、航行の訓練とかじゃないのか」
ラーザリ「へっ、何だそりゃ」
響「……えっ」
ラーザリ「……ん?」
トビリシ「?」
-
62 : 2015/09/18(金) 21:52:38.16 -
—埠頭—
ラーザリとトビリシを連れて、再び夜の埠頭へと出る。
聞いた話の通り、カリーニンもそこにいた。1人で何かをやっていたらしい。カリーニン「……おい、なんでお前たち……」
ラーザリ「お前の相手しに来たんじゃあないよ……ほら、あそこ」
カリーニン「……? あいつ、何を?」
ラーザリ「さぁてね……見てれば分かるらしいけど」
トビリシ「やっぱり、お月様が出てると明るいね……ね、ヴェーニャ」
響「…………」
トビリシ「……ヴェーニャ?」
-
63 : 2015/09/18(金) 21:56:16.64 -
響「…………」タッタッタ
トビリシを横目に、早足で埠頭を進む。
目指すは、埠頭の縁の先——黒々とした、あの海だ。トビリシ「——! ヴェーニャ!? 何してるの、ヴェーニャっ!?」
響「…………」タッタッタッタ
ラーザリ「……! な……」
カリーニン「お、おいッ!」
響「…………」
トビリシ「だめっ、溺れちゃう! やめてヴェーニャっ!」
縁を踏み、夜の海へと身を乗り出す。
そのまま、足を水面へと——トビリシ「————っ!!」
-
64 : 2015/09/18(金) 21:58:44.43 -
響「……っと」パシャッ
響「…………」スイーッ
響「……うん、久しぶりだけど、いい感じだ」スイーッ
トビリシ「 」
ラーザリ「 」
カリーニン「 」
-
65 : 2015/09/18(金) 22:00:08.43 -
——
————
————————提督「……え、何? 艤装なくても立てるの? お前ら」
響「今は無理だよ。しっかりした身体ができたからね。
昔はほら、ほとんど幽霊みたいなものだったから」暁「ち、違うわよ! 違うからね!」
雷「でも、みんな結構そうやって遊んでたわよね。海の上でスーッて」
響「その経験があったから、艤装にもすぐに慣れたんじゃないかな」
提督「へぇー……」
-
66 : 2015/09/18(金) 22:04:05.20 -
————————
————
———トビリシ「……ほ、ほんとに立ってる……」
響「暁たちと、よくこうやって遊んだ。海の上で追いかけっこしてね……」
トビリシ「アカツキ?」
響「ああ、私の姉だよ」
カリーニン「 」
ラーザリ「……し、沈まないの? それ……」
響「さぁ……浮こうと思ってれば浮けるんじゃないかな?
前に艦首ごと吹き飛ばされたことがあったけど、ちゃんと海面に『着地』できたよ」ラーザリ「——な——」
カリーニン「 」
響「……こうやって、海の上で遊ぶたぐいの『訓練』だと思ってたんだけど……
——その、本当に知らなかったのかい? みんな……」トビリシ「…………」
ラーザリ「…………」
-
67 : 2015/09/18(金) 22:08:31.97 -
カリーニン「…………」ザッザッザッザ
ラーザリ「!?」
カリーニン「う……うらぁっ!」ピョン
変わった声で気合を入れて、カリーニンが海へ跳ぶ。
着水の瞬間によろめいたものの、しばらくすると感覚をつかみ、水上で仁王立ちをかました。カリーニン「は……ははは! みっ、見たか日本艦!
こっ、これでお前に教えられることなど、何もッ……!」響「……じゃあ、こっちまで来れるかい?」
カリーニン「え゛……」
響「…………」
カリーニン「……と、トビリシ! 何をしてる! お前もこっちに……」
トビリシ「むっ、無理ですよっ! そんな……!」
響「怖くないさ。ほら、ゆっくりとでいい」
トビリシ「てっ……手っ! ヴェーニャぁ、手つないでっ! ね!」
響「はいはい……ラーザリもどうだい?」
ラーザリ「え? あ、ああ……いや……」
-
68 : 2015/09/18(金) 22:12:43.68 -
——その時。
にわかに水面がざわめき出し、波を割る音が聞こえてきた。響「……?」
大きなクジラのような影が3つ、埠頭の方へ近づいてくる。
基地から水兵さんたちが駆け出し、あわただしく何かの準備を始める。ラーザリ「……潜水艦隊のお帰りか」
響「……潜水艦……」
カリーニン「…………」
無言で陸に上がるカリーニン。私もそれに続いて上陸する。水面に、ざばっと上がる人影があった。
その数は、帰ってきた艦と同じく3つ。3つの人影は軽快に埠頭へ上がり、寄り集まって歩き始めた。
月明かりに照らされる、3人の女性のシルエット。
首から下を、黒いゴムのような服でぴっちり覆っている。間違いなく、潜水艦の艦娘たちだ。
潜水艦娘A「……あら?」潜水艦娘B「……ふーん」
潜水艦娘C「あ……」
ラーザリ「…………」
-
69 : 2015/09/18(金) 22:16:05.01 -
潜水A「……お出迎えご苦労様。貴女たちにしてはずいぶん殊勝ねえ?」
ラーザリ「ちょっとばかり魔が差してね。
クジラが陸に上がった所でも見に行こうって話になった」潜水A「……フン。ずいぶんとお暇そうなこと」
ラーザリ「おかげさまでね。でも夜はなかなか寝付けない。
いつあんたらが任務をしくじって、こっちにお鉢が回ってくるかと……」潜水A「——黙りなさい、この穀潰し」
カリーニン「——!」
響「…………」
親しさゆえの悪態……とは、どう聞いても違う。
ざらっとした空気が漂いはじめた。潜水B「……しっかし何? 怠け者が雁首揃えちゃって……ねぇ?」
潜水C「えっ……あ、はい。そ、そうですよね」
潜水A「また下らない遊びの相談でしょう? 労働者の敵よ、このトロツキスト」
カリーニン「ッ——! こ、この……!」
トビリシ「カリーニンさん!」
-
70 : 2015/09/18(金) 22:23:34.06 -
潜水B「何が違うってのよ。仕事はせいぜい月1回のお使い。それもせいぜい、その辺の港……」
潜水A「私たちは毎日のように哨戒よ? それで同等のつもりかしら。
そのくせ口だけは偉そうに……おこがましいにも程があるでしょう?」カリーニン「き、貴様らが……そもそも貴様らが私の仕事を——!」
潜水A「——本当に救いようがないわね。自分の無能さを棚に上げて。
司令官さんは私たちを選んだのよ。……分かるわよね? その意味」ラーザリ「…………」
潜水B「ハッキリ言ってやるけど、お荷物なの、アンタら。時代遅れの役立たずよ。でしょ?」
潜水C「え、いやあの……そ、そこまでは……」
潜水B「は?」
潜水C「い、いえっ! はいっ!」
眉間にしわが寄っていくのが、自分でもわかった。
——こういう話は、聞いていて気持ちのいいものじゃない。
-
71 : 2015/09/18(金) 22:24:33.23 -
カリーニン「ッ……よ、よくも……!」
ラーザリ「……ま、否定はしないけどね。これからはあんたらの時代でしょうよ」
カリーニン「ラーザリッ!!」
潜水A「……情けないこと。あの同志カガノーヴィチのお名前を頂いておきながら。
恥ずかしいとは思わないのかしら?」潜水B「ヘンに捻くれてない分、姉貴の方がまだマシよね。『鉄のラーザリ』が聞いて呆れるわ」
潜水A「——百歩譲って、『鉄クズ』ね」
潜水B「あはは、『鉄クズのラーザリ』! 傑作!」
潜水C「う、うぅ……」
ラーザリ「…………」
カリーニン「——き、貴様らッ——!!」
響「っ——」
——何かが体を駆け昇るような感覚があった。
ボイラーの重油が瞬時に燃え上がり、煙突へと突き抜けるような…… -
72 : 2015/09/18(金) 22:29:22.36 -
潜水A「…………は……?」
ラーザリ「……え?」
カリーニン「な——」
トビリシ「……ヴェー、ニャ……?」
響「…………」
——はじめは、自分でも何をしたのか分からなかった。
今にも飛びかかりそうなカリーニンを差し置いて、
気づけば私は、潜水艦たちの眼前に迫り、あの子たちをにらみつけていた。潜水A「……な、何よ貴女……」
響「——取り消すんだ」
潜水B「……よそ者が何? 引っ込んでなさい、日本艦」
響「仲間をクズ鉄呼ばわりされて、黙ってる方がどうかしてる」
カリーニン「——!」
潜水A「うるさいわね、貴女には関係な——」
響「…………」ギロッ
潜水A「う……」
潜水B「こ、このっ……!」
?「——何を騒いでいるの、あなたたち」
-
73 : 2015/09/18(金) 22:32:00.88 -
潜水ABC「ッ!!」ビシッ
響「……?」
横から聞こえてきた声に、潜水艦たちが一瞬で姿勢を正した。
そのまま声の主に向かって、力強く敬礼する。
さっきまでの態度とは打って変わって、表情は真剣そのものだ。響(……あれは……)
声の主に目を向ける。
短く切り揃えられた銀髪に、涼しげな目元。中性的な風貌だった。黒い革かゴムのような服が、首から下を隙間なく包んでいる。腰にはベルトを着けていた。
服装を見る限り、彼女も潜水艦なのだろう。——見覚えがあった。
ウラジオストクに来た夜、私の随伴をしていた潜水艦だ。
?「報告が無いから迎えに来てみれば……どういうことか説明しなさい」
潜水B「だ、だって……ラーザリよ、ラーザリが先に……」
?「……そうなの?」
潜水C「それは……その……」
ラーザリ「……ま、先にからかったのはこっちですがね」
カリーニン「おい……!」
ラーザリ「いいから」ボソッ
-
74 : 2015/09/18(金) 22:36:04.13 -
?「…………」
潜水A「あ……え、ええと……」
?「……言い返したのでしょう?」
潜水A「う……」
?「……全く、あなたがそんなことでどうするんです、姉さん」
潜水A「で、でも、モーラ……」
?「最年長のあなたが止めるならまだしも、口論に加わるとは何事ですか。
——あなたたちも。1度や2度ではないはずよ、こんなことは」潜水B「…………」
潜水C「……はい」
そこまで言って、銀髪は私たちへ向き直る。
?「……あの子たちが迷惑をかけたようね。きちんと言い聞かせておくわ。
——でも、そちらも少しは自重なさい。ここの騒動の大半は、あなたたち水上艦絡みなのよ」カリーニン「……ふん」
ラーザリ「……善処しますよ」
トビリシ「す、すみません……」
-
75 : 2015/09/18(金) 22:39:01.15 -
?「…………」
銀髪の潜水艦と目が合った。
背は、私よりも頭1つぶん高い。しかし、身にまとう雰囲気はそれ以上に大人びている。?「……前に、海の上で会ったわね」
響「……ああ」
?「駆逐艦・ヴェールヌイ。この国にはもう慣れたかしら」
薄い青色の目が、こちらを見下ろしていた。静かな目だった。
でも私は、その瞳の奥に、そびえ立つ氷山のような冷たさと凄みを感じていた。
——間違いない。あれは、戦場を知っている目だ。響「……君は?」
?「計画番号、Л(エル)−12。……予定艦名、『モロトヴェッツ』。
どちらでも好きに呼びなさい」響「…………」
モロトヴェッツ「——さぁ、みんな来て。報告を聞くわ」
-
76 : 2015/09/18(金) 22:42:27.02 -
基地に向かっていくモロトヴェッツ。
他の潜水艦たちも、私たちをキッと睨んでから、モロトヴェッツの後に続いていく。モロトヴェッツ「……ラーザリ」
ラーザリ「?」
モロトヴェッツ「……ロシア語は通じるようね。あなたに任せて正解だったわ」
ラーザリ「……そりゃどうも」
そう言い残して、モロトヴェッツたちは去って行った。響「……トビリシ。あの人は……」
トビリシ「……ここの代表よ。わたしたちのまとめ役をやってるの。
それに、この艦隊でいちばんの英雄だって……」響「英雄?」
トビリシ「私もよく知らないけど……前の戦争で、敵を何隻も沈めたんだって」
ラーザリ「戦果だけならウチで一番。……だからみんな、何となく逆らえないってわけ」
カリーニン「…………」
響「…………」
去っていく潜水艦たちの背中を、じっと見据えるカリーニン。
その目に宿っているものは、単純な怒りだけではないような気がした。
-
77 : 2015/09/18(金) 22:45:03.51 -
—埠頭・薪小屋付近—
すっかり夜も更けたころ。
どうにも眠れなかった私は、あてもなく埠頭を散歩していた。当時の私たちには、基本的に睡眠は必要なかった。
けれど、しばらく出撃の予定が無いときには、
よけいな退屈を感じないよう、意識を閉じることもあった。
——それが、私たちの「眠り」だった。響「……?」
埠頭のはずれにある、古びた小屋の近く。
そのあたりから、何かが飛び込むような水音が聞こえてくる。近づくと、人影も見えてきた。
妙に思って、もっと近寄ってみると——響「あ……」
カリーニン「……!」
響「…………」
カリーニン「……なんだ」
響「……いや。何をやってるのかな、って」
カリーニン「……何に見える」
-
78 : 2015/09/18(金) 22:48:05.74 -
カリーニンは、1本の薪を握っていた。
そして、海に向って何かの狙いをつけ、高く弧を描くように投げ入れる。
薪は、ボチャンと音を立てて沈み、しばらくしてから浮き上がってきた。響「……それが、例の『爆雷』かい?」
カリーニン「……ラーザリか」ハァ
響「聞き出したのは私だよ」
カリーニン「…………」
足元に転がっている別の薪を、カリーニンが拾い上げる。
小屋の横には、何十本もの薪が無造作に積み上げられていた。
薪の間からは、ところどころロープがはみ出している。運搬に使っていたのだろう。カリーニン「……なあ」
響「ん?」
カリーニン「さっき……何でラーザリをかばった?」
響「…………」
カリーニン「奴らの言う通り、お前には関係ないことだったはずだ」
響「——世話になったんだ。ラーザリには」
カリーニン「…………」
響「恩があるし、なにより……私は友達だと思ってる。……それじゃあ駄目かい?」
カリーニン「…………」
カリーニン「……そうか……」
-
79 : 2015/09/18(金) 22:51:04.33 -
再び、薪が投げ込まれる。
よく見れば、何本もの薪が海面に漂っていた。響「……贅沢だね」
カリーニン「……燃やせないんだ、この小屋の薪は」
響「え?」
カリーニン「燃料不足に備えたはいいが、入れるだけ入れて使われずに……
隙間から入った雪と湿気で、残らず使い物にならなくなった」カリーニン「……今ではもう、誰にも見向きされない。静かに腐っていくだけだ」
響「…………」
みたび、カリーニンが薪をつかむ。
手に持った薪を、じっと見つめている。 -
80 : 2015/09/18(金) 22:54:15.57 -
カリーニン「……分かっているんだ」
カリーニン「本当は、こんなことをしたって何にもならない」
響「…………」
カリーニン「だが、それでも……何かせずにはいられない。無聊をかこつわけにはいかない」
カリーニン「敵に備えることさえ忘れてしまったら……私たちは、本当の鉄クズになってしまう」
響「……もう終わったんだろう? 君たちが勝って——」
カリーニン「——700万人だ」
響「…………」
カリーニン「……それだけの人間が亡くなった。モスクワの人口を、軽く超える数だ」
カリーニン「この街でも、次々に男がいなくなった。
彼らがどこに行って、どうなったのか……私には、それすら分からなかった」薪を握りしめるカリーニン。
つかんだ手が、小刻みに震えていた。カリーニン「……それほどの犠牲を払っても、まだ戦争は終わっていない」
響「……え?」
カリーニン「クレムリンは、同志スターリンは……戦時体制を解いておられない。
——当然だ。いつ、あの海を越えて、資本主義者どもが攻め込んでくるか……」カリーニン「……だから、だから私は……」
-
81 : 2015/09/18(金) 22:56:29.75 -
投げられる薪。跳ねる水音。カリーニン「……見せてやりたいんだ。奴らに」
カリーニン「私には、私たちには力があると。このソビエトを守ることができると」
響「……結局、馬鹿にされるのが嫌なだけじゃないか」
カリーニン「——おかしいか!? 祖国を守る能力も、誇りも! 確かに備えて造られたんだ!」
カリーニン「たまたま機を逃しただけで、その全てを否定され、侮られる!
奴らにそんな権利があるのか! 私の誇りを踏みにじる権利が!」カリーニン「——哨戒にすら出されずに、毎日のように虚仮にされて……」
カリーニン「そして、来るべき時に何もできず、気付けば全てが終わっている……
——そんなのは……そんなのは、もう……!」響「…………!」
-
82 : 2015/09/18(金) 23:00:08.81 -
『響……暁が、暁がぁ……』
『雷ちゃん、帰ってきますよね……沈んで、なんか……うっ、あぁ……』
『——響ちゃん、お疲れさま。交代なのです』
『……心配すんな。大和さんは絶対に負けねえし、あたいも入れば百人力さ!
すぐにみんなで帰ってくる。だから、しっかり治しとけよ!』『——然レドモ朕ハ、時運ノ趨ク所、堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ビ難キヲ——』
響「…………」
-
83 : 2015/09/18(金) 23:03:22.97 -
響「……私たちはフネだ。戦うべき時なんて、自分では決められない」
カリーニン「——分かっている。だが……!」
響「でも……仲間に力を示すだけなら。訓練だけなら簡単だ」
カリーニン「……演習か? 馬鹿を言うな。あれだって自分では……」
響「できるさ」
海に飛び入り、水面を駆ける。
旋回しながら薪を拾い、高く高く放り投げる。気持ちのいい水音がした。響「……できる勝負をすればいい」
カリーニン「……?」
-
84 : 2015/09/18(金) 23:06:20.61 -
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
カリーニン「……馬鹿な……そんなことが……」
響「別に、気に入らないならいいんだ。こっちも思いついただけだしね」
カリーニン「…………」
響「少なくともあと2人は要るし、勝算だって高くはない。
けど……やってみる価値はあるはずだ」カリーニン「……勝てるのか?」
響「……勝負にならないなら、その程度ってことさ」
カリーニン「…………」
響「……もし乗り気なら、また明日。人が揃ってから、改めて説明する。
……どうするかは任せるよ」カリーニン「…………」
-
85 : 2015/09/18(金) 23:10:25.59 -
—基地内部 図書室—
翌朝。カリーニンが連れてきた2人に、昨日の提案を説明する。
集まったメンバーは、当然ながら……私の予想に一致した。トビリシ「 」
ラーザリ「 」
カリーニン「…………」
響「——説明は以上だ。どうだろう、みんな」
ラーザリ「……本気?」
カリーニン「当然だ」
ラーザリ「いやお前じゃなくって」
響「……無理強いさせるつもりはない。向こうが乗るかも分からないしね」
響「それに……一番大事なのは、遺恨を残さないことだ。
もし負けても、黙って受け止めるしかない。能無しと呼ばれても、言い返せなくなる」ラーザリ「……ッ……」
カリーニン「……私は乗った。あとは、お前たち次第だ」
トビリシ「…………」
ラーザリ「……作戦は分かった。戦術も分かった。
でも……負けたらどうする。今度こそ、あいつらに何も言えなくなって……」カリーニン「それでも……勝負にすら出ずに腐っていくより、何十倍もマシだろう」
-
86 : 2015/09/18(金) 23:14:10.14 -
トビリシ「……わたしは」
ラーザリ「!」
トビリシ「……その、ヴェーニャがやるっていうなら……わたしも!」
ラーザリ「トビリシ……!」
響「……ありがとう。心強いよ」
トビリシ「そ、そう? えへへ……」
ラーザリ「……馬鹿馬鹿しい。ヘンに面倒起こすより、へつらっとく方がずっと楽だよ」
響「…………」
ラーザリ「何言われたって、適当に聞き流しとけばいいんだ。
任務は全部あいつら任せで、私らは自由に過ごせてる。十分な待遇と思うけど」カリーニン「ラーザリッ!」
ラーザリ「……私はいい。どうしてもってんなら、あんたらで勝手にやるんだね」
カリーニン「……負けるのがそんなに怖いのか!」
ラーザリ「……ッ!」図書室から出ていくラーザリ。
——残念な気持ちは、無かったと言えば嘘になる。
トビリシ「……ラーザリさん……」
響「……3人か。やっぱり……」
カリーニン「……いや、やろう。訓練だけでもいい」
-
87 : 2015/09/18(金) 23:17:59.84 -
響「……勝算はもっと低くなるよ」
カリーニン「それを補うための訓練だろう?」
響「…………」
カリーニン「……なんだ」
響「いや。頑固な人とは思ってたけどね」
カリーニン「……その気になったんだ。お前のせいでな」
響「私に賭けてくれたのかい?」
カリーニン「ギャンブルはしない。……だが、信じてはみる」
響「……嬉しいね」
カリーニン「……! あ、いや、お前じゃあないぞ! お前の発案を、だ! いいな!」
響「はいはい……」
——その日から。
来るべき『対潜演習』に向けた、私たちの訓練が始まった。 -
88 : 2015/09/18(金) 23:21:53.29 -
いったん終了 続きは2~3日後に
ちなみに戦没者700万人っていうのは、1946年にヨシフおじさんが発表した数
現在では軍人だけでも866万人、非戦闘員も含めて2300万人が亡くなったっていうのが定説
アカは嘘つき、はっきりわかんだね -
93 : 2015/09/21(月) 20:32:19.43 -
——
————
————————雷「だーかーらぁー! どんな勝負なのよ、その『演習』って!」
響「そのあたりは……もう少し進んだら、ね」
電「……響ちゃん」
響「うん?」
電「……もしかして、その訓練って……響ちゃんが教官だったのですか?」
響「もちろん」
暁「…………」
電「…………」
雷「……あー……」
響「……え、何、何だい?」
提督「……気の毒になあ、ソ連の子たち」
響「……?」
-
94 : 2015/09/21(月) 20:36:12.26 -
————————
————
———夜 埠頭—
トビリシ「ひゃぁっ!」コツン
響「まただ、またぶつかったよ。最短の航路で旋回するんだ」
トビリシ「う、うん……」
響「走り回ることだけ考えればいい。もちろん速度を落とさずにね。
一瞬でも止まったらいい的だよ」トビリシ「や、やってみる……」
カリーニン「ぐっ……!」ヒュン
響「目で追ってたら絶対に当たらない。相手の動きを予測して」
カリーニン「わ、分かっている!」ヒュン
響「相手は水の下にいるんだ。当てるにはそれだけ、高く投げなきゃいけない。
投擲から着水までの時間は、秒じゃなく感覚で覚えるんだ」カリーニン「あ、ああ……」ヒューン
-
95 : 2015/09/21(月) 20:40:11.24 -
トビリシ「……ね、ねぇヴェーニャ。これでほんとに大丈夫なの……?」ザーッ
響「……タネがばれさえしなければ、ね」ザーッ
カリーニン「——! 来たぞ、潜水艦どもだ!」
響「ッ! トビリシ!」ポイッ
トビリシ「ひゃいっ!」ポイッ
潜水B「……? 何やってんの、アンタら」
響「……陣形の練習だよ。複縦陣」スイーッ
トビリシ「そ、そーなんです」スイーッ
潜水A「物好きねぇ。どうせ出番も無いでしょうに」
カリーニン「やかましい! また妹に怒られたいか!」スイーッ
潜水A「……フン。ご勝手に」
ラーザリ「…………」
-
96 : 2015/09/21(月) 20:44:11.99 -
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~トビリシ「……っ!」ザザザッ
響「そう、その旋回だ。その速度だ」
トビリシ「うん……!」
カリーニン「Ураааааааа!!」ヒューン
響「っ……!」コツン
カリーニン「…………」ニヤッ
響「……やられたよ。……でも、何だい、今の」
カリーニン「? ラーザリから教わっていないのか?」
響「……何で『万歳』?」
カリーニン「力が湧くぞ! ほら、お前もだ! Урааааа!!」
響「う、ウラーッ!」
カリーニン「Урааааааааааа!!」
響「Урааааааааааа!!」
ラーザリ「やかましい! あいつら来てるって!」
響「えっ?」
ラーザリ「あっ……」
-
97 : 2015/09/21(月) 20:48:12.92 -
カリーニン「…………」
ラーザリ「…………」
響「……そうだね。いい加減、カリーニンばかりに見張りを頼むのも悪いし」
ラーザリ「……!」
カリーニン「ついでに薪も拾ってもらうか。海の上でも走らせて」
響「……まあ、無理にとは言わないけどね」
ラーザリ「…………」
-
98 : 2015/09/21(月) 20:52:16.74 -
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~潜水B「またやってる……」
響「複縦陣」スイーッ
トビリシ「カリーンカー♪ カリーンカー♪」スイーッ
カリーニン「こら、訓練中に歌うな!」スイーッ
ラーザリ「…………」
潜水C「……あれ? 行かないんですか」
ラーザリ「え? いや……」
カリーニン「——ラーザリ! いつまで休憩してる!」
ラーザリ「!」
響「手早く頼むよ。3人じゃどうにも不揃いなんだ」
ラーザリ「…………」
潜水A「……あら。仲間外れじゃなかったのね」
潜水B「なーんだ、慰めたげようと思ったのに」
ラーザリ「…………」
-
99 : 2015/09/21(月) 20:56:23.81 -
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~響「……だいぶ整ってきたね。あとは……」
その夜の訓練も終わりかけた、その時。
背後で、小さな水音がした。響「…………」クルッ
ラーザリ「…………」
ラーザリ「あーあーあー……何でかなぁ……ホントにさぁ」
響「……よかった。ちゃんと立てたじゃないか」
ラーザリ「……あそこで見てると、あいつらの仲間に思われそうでね」
カリーニン「…………」
トビリシ「……ふふっ」
ラーザリ「ま、本番までやるかは分かんないけど」
響「いざとなったら出てもらうさ」
ラーザリ「……やだねぇ、ほんと」
-
100 : 2015/09/21(月) 21:00:17.53 -
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~響「なんだその速度は! 砕氷船か!」
ラーザリ「ひぃっ……」
響「当てるんじゃなく当たりに行かせる!
爆雷は点じゃない、面に投げるんだ!」ラーザリ「た、態度がまるで違——」
響「返事はッ!」
ラーザリ「ああー! はいはいはいはい!」ヒューン
——
————
————————響「……いや、そこまで厳しくなかったよ、本当」
暁「うそぉ」
提督「自覚ないのが怖いんだ、これが……」
響「……まあ、ラーザリは特にひどかったし……そんな感じで、2週間ばかり訓練したんだ」
雷「に、2週間も響のオニしごき……」
電「……なんだか泣けてくるのです」
響「怒っていいかな?」
-
101 : 2015/09/21(月) 21:04:14.70 -
————————
————
———1947年 9月初頭 夜—
—埠頭 薪小屋付近—
訓練開始から2週間後、月が煌々と輝く夜。
港のはずれで、私たち4人は待っていた。トビリシ「く、来るかしら……ちゃんと」
響「モロトヴェッツに話は付けた。もちろん、例の『条件』もね」
ラーザリ「……いよいよ引き返せなくなったか」
カリーニン「今更なんだ。結局ついてきたくせに」
ラーザリ「何、じゃあ今から抜けてもいいわけ?」
トビリシ「ええ!? ちょっと……!」
響「——来たよ」
カリーニン「——!」
-
102 : 2015/09/21(月) 21:08:16.28 -
ゆっくりと近づいてくる4人の人影。
先頭のモロトヴェッツに、他の3人がぴったりと付き従っている。モロトヴェッツ「……待たせたかしら」
響「いいや」
潜水A「……勝負だか何だか知らないけれど、こんな時間に呼び出すなんてね。
貴女たちみたいに暇じゃないのよ?」潜水B「それより、あの話……本当でしょうね?」
響「……もちろんだ。今日の勝負……いや、演習で負けたら、
私たちはこれから、何を言われても言い返さない」潜水A「……ふぅん?」チラッ
カリーニン「当然だ。どんな罵倒も、甘んじて受ける」
ラーザリ「……ま、そういうことで」
潜水A「……確かに聞いたわよ?」
カリーニン「……だが、私たちが勝ったなら……」
潜水B「何だっていいわ、好きになさいよ。どうせ聞いたって意味ないんだもの。ねぇ?」
潜水C「い、いちおう聞いてあげたら……」
潜水A「……ま、気概だけは認めてあげましょう。
自分から負けに来るなんて、なかなかできることじゃないわよ?」ラーザリ「…………」
-
103 : 2015/09/21(月) 21:12:12.76 -
潜水B「だいたい、何が演習よ。砲塔も機銃もないくせに……」
モロトヴェッツ「……そうね。何をするのか、そろそろ教えてもらえる?」
響「簡単だよ。普段の演習と同じことをする。——こいつを使ってね」
薪小屋の扉を開ける。
潜水艦たちが、怪訝な目で小屋を覗き込む。響「……この薪は、『魚雷』であり『爆雷』だ。
まず、ここにいる全員で好きなだけ薪を取り、海に出る」響「それから、陣営ごとに分かれて並ぶ。分け方は、まあ……言うまでもないか」
響「あと数十分すれば、消灯のラッパが鳴る。それが演習開始の合図だ。
それまでは、走っても潜ってもいけない」
響「……いちおう聞くけど、潜り方は分かるね?」潜水A「……馬鹿にしないでくれるかしら」
潜水B「とっくの昔に教わってるわよ。誰かさんとは違ってね」
響「それならいいんだ。すまなかった」
-
104 : 2015/09/21(月) 21:16:11.68 -
響「……合図が鳴ったら、あとは単純だ。手持ちの薪を相手に当てる」
響「投げても、飛ばしても、持ったままでも……とにかく、当てさえすればいい」
響「体のどこに当たっても『大破』だ。
大破したら、黙って艦隊を離脱。速やかに上陸するように」潜水C「あの、当たったかどうかは、誰が……?」
響「……自己申告だ。嘘は駄目だよ」
潜水A「……どうかしら。私たちの方は大丈夫でしょうけど?」
カリーニン「……フン」
響「……それから、これが重要なんだけど……薪は原則、使い捨てだ。
1度手元から離した薪を、拾ってもう1回、なんてのはできない」モロトヴェッツ「……つまり、補給は不可能と?」
響「そう。さっきも言ったけど、薪は何本持って行ってもいい。
けれど、使い切ったら戦闘不能だ。この場合も離脱して、陸に帰ってもらう」ラーザリ「……薪に当たるか、薪が無くなるか。どっちにしたって負けってわけだ」
響「……そんな感じで続けていって、最後まで残った陣営の勝ち。
ルールについては以上だよ」
-
105 : 2015/09/21(月) 21:20:49.49 -
潜水A「…………」
潜水B「…………」チラッ
モロトヴェッツ「……そうね。少なくとも、不公平な勝負には聞こえない」
響「…………」
モロトヴェッツ「……さっきは聞きそびれたけど、もしあなたたちが勝ったら?」
カリーニン「我々の力を認めてもらう。いわれなき非難は、二度と認めない」
モロトヴェッツ「……いいわ。艦隊代表として約束する。
我ら第1潜水艦隊、演習の申し入れを受けましょう」響「……ありがとう」
-
106 : 2015/09/21(月) 21:24:13.58 -
—金角湾 海上—
薪を取り終え、洋上に並ぶ。
小屋にあったロープのおかげで、腰や背中に括り付けることができた。相手側の潜水艦たちは、多くても1人8本ほど。
対してこちらは、それぞれ最低でも20本は用意した。
トビリシ「練習したけど、やっぱりちょっと重いわね」
響「……まるで二宮金次郎だ」
トビリシ「……だれ?」
ラーザリ「……基地のヒトが見たらどう思うかね。薪がひとりでに海の上を……」
カリーニン「馬鹿言ってないで集中しろ」
-
107 : 2015/09/21(月) 21:28:14.10 -
潜水A「……ねぇ、モーラ。本当に良かったの? こんなに少なくて……」
潜水C「その、やっぱり、向こうみたいに何十本も……」
モロトヴェッツ「……見なさい、向こうの駆逐艦」
潜水B「? ああ……ふらついてるわね、なんか」
モロトヴェッツ「あれだけ積めば、多少なりとも速度に影響が出る。
それを分かっていないはずはない」
モロトヴェッツ「利点である機動力をわざわざ殺しているのよ。……きっと何かがあるはずだわ」潜水B「何か、って?」
モロトヴェッツ「……何であろうと、凌がなくてはならない。
だからこそ、こちらは機動力が最優先よ」潜水C「わ、分かりました……」
モロトヴェッツ「……それに、考えてもみなさい。
視界の悪い夜の海上と、引き波で軌跡を捕捉できる水中……」モロトヴェッツ「索敵ではこちらがはるかに有利。
物量に頼らずとも、奇襲と一撃離脱で十二分に戦えるはずよ」潜水A「……まあ、こっちにはモーラがいるものね」
潜水B「そうそう。ま、本気出すまでもないでしょーけど」
モロトヴェッツ「…………」
-
108 : 2015/09/21(月) 21:32:15.24 -
基地の正面に人影が見えた。
拡声器付きの台に、ラッパを持った水兵さんが登る。
——消灯の時が近づいていた。響「——! みんな、そろそろ……」
カリーニン「!」
トビリシ「っ……」
ラーザリ「……あんまり期待しなさんなよ」
潜水A「……格の違いを教えてあげるわ」
潜水B「一番になったら褒めてよね、モーラさん」
潜水C「が、がんばります……!」
モロトヴェッツ「……行くわよ、みんな」
水兵さんが、ラッパを静かに口に当てる。
これから何が始まろうとしているか、あの人は全く知りもしない。——そして。
開戦の合図が、おごそかに響いた。
-
109 : 2015/09/21(月) 21:36:16.49 -
モロトヴェッツ「潜航!」
潜水ABC「ッ!!」
潜水艦たちが、一糸乱れぬ動きで海中へ飛び込む。
やはり、生半な練度ではないようだった。響「全艦、複縦陣にて最大戦速! 『浦潮作戦』、第一段階開始!」
「「「了解!」」」
——
————
————————響「……あ、そうだ。ここからはちょっと、後で人から聞いた話も入るから」
響「そのあたりは、私が直接見聞きしたわけじゃない。それは了解していてほしいな」
提督「? ああ」
-
110 : 2015/09/21(月) 21:40:21.81 -
————————
————
———海中—
潜水A「——ふふん、見える見える……
軌跡は横に並んだ4つ、その後ろにもう4つ……」潜水B「複縦陣とかいう奴ね。馬鹿の一つ覚えでやってたアレよ」
モロトヴェッツ「まずは様子見。無軌道に走っているとは思えないわ。何か狙いが——」
潜水A「……モーラ。そんなまどろっこしい。
当てさえすれば勝ちなのよ? こうやって、真上にまき散らしてやれば——!」ポイポイ—海上—
トビリシ「——! 3時方向に薪浮上! 数は4!」
ラーザリ「始まったか……」
響「……なら、こっちもだ。爆雷投擲、始めぇーっ!」
-
111 : 2015/09/21(月) 21:44:19.87 -
—海中—
潜水C「……あ」
潜水A「……あ、あら?」
潜水B「……行かないわね、まっすぐ」
モロトヴェッツ「……機雷ならともかく、ただの薪ですよ?
重心も安定しないし、海流の影響も大きい……この深さでは無駄撃ちです」潜水A「なら……!」
潜水B「簡単でしょうが!」グンッ
モロトヴェッツ「! マクレル!」
潜水B「ギリギリまで近づいて、確実に撃ち込む! 私たちの定石でしょ!
見てなさいって、今度はあたしが——」ドボン! ドボン! ドボン!
潜水B「——え?」
潜水A「……何? あれ……」
潜水C「……投げ込んでますね、あんなにいっぱい……」
-
112 : 2015/09/21(月) 21:48:18.68 -
モロトヴェッツ「…………」
潜水B「……っぷ……」
潜水「っ……くく……!」
潜水B「あーっはははは! 何、何なのよぉアレ! どんだけ怖がってんの!?」
潜水A「つ、使い切っちゃうわよ、あのまま……っくく……ふふふふ……!」
潜水B「届かないー! 届かないわよー! そこじゃないのよー!
あぁー……も、もうダメ……! ひぃー……!」モロトヴェッツ「……演習中よ。慎みなさい」
潜水B「はーい……っくく……」
潜水C「……でも、本当に撃ち尽くしちゃうんじゃ……」
モロトヴェッツ「…………」
-
113 : 2015/09/21(月) 21:52:16.19 -
—海上—
響「……よし、投擲中止!」
ところ構わずバラ撒いたおかげで、海上にはおびただしい数の薪が浮いていた。
私たちが間を通るたびに、薪がぷかぷかと波に揺られる。響「……本作戦は、これより第二段階に移行する。カリーニン、ラーザリ」
カリーニン「——了解!」
ラーザリ「……ま、やれるとこまでね」
-
114 : 2015/09/21(月) 21:56:14.22 -
—海中—
潜水A「投擲が止まったわ。……いよいよ弾切れかしら」
潜水C「たくさん浮いてますね。……邪魔じゃないのかな」
潜水B「何にしたって、今がチャンスってわけよね……!」ギュンッ
モロトヴェッツ「ッ……待ちなさい!」
潜水B「あいつら、陣形は同じだけど遅くなってるわ。
近づいて撃てば一発よ!」ギューン潜水A「あらあら、張り切っちゃって……」
潜水B「よし、この距離なら! まずひとり——」
-
115 : 2015/09/21(月) 22:00:22.67 -
ドボン!
ドボン!ドボン!
潜水B「——め——?」
——ゴツン!
潜水A「な——!」
潜水C「あ……っ!」
モロトヴェッツ「——!!」
潜水B「あ……あ、れ……?」
-
116 : 2015/09/21(月) 22:04:14.04 -
—海上—
潜水B「な……何でよ、何で……」プカーッ
ラーザリ「——!」
カリーニン「あ……当たった! 当たったぞぉぉ!」
トビリシ「ぃやったぁ!」ザーッ
響「……ハラショー!」ザーッ
潜水B「——!! あ、あんたたち……それ……!」
ラーザリ「おーっと……負けたら黙って、どうすんだっけね」
潜水B「ッ……!」
カリーニン「や、やったんだ……ハハ……私は……!」
響「——油断は駄目だ。あと3隻……!」
-
117 : 2015/09/21(月) 22:08:20.52 -
—海中—
潜水C「そんな……!」
潜水A「どういうこと!? あいつら、なんでマクレルの位置が……!」
モロトヴェッツ「……軌跡は変わらず、前と後ろに4つずつ……陣形に変化はない。
速度が多少遅くなったとはいえ、それだけでは……」潜水A「……それに、マクレルは斜め後ろから近づいて行ったわ。
なのに、あんなに早く気づかれて……」潜水C「その、ソナー持ってる、とか……」
潜水A「まさか……!」
モロトヴェッツ「……あるいは、ソナーの代わりになる『何か』……」
潜水A「またそれ!? 何なのよ、『何か』って!」
モロトヴェッツ「落ち着いてください! ……何にせよ、もう無闇には出られない」
モロトヴェッツ「持久戦ならこちらに分があります。
何としても、あの謎を暴かなくては……!」
-
118 : 2015/09/21(月) 22:12:12.75 -
—海上—トビリシ「……来ない、わね」
響「痺れを切らした方が負ける。……向こうだって、それは分かってるはずだ」
響「今は待つんだ。……止まらずにね」
—海中—
潜水C「……航行速度、陣形、共に変化なし。攻撃もありません……」
モロトヴェッツ「……釣りと同じだわ。私たちが引っ掛かるのを待っている」
潜水C「でも、このままじゃ何も……」
潜水A「……モーラ、ソラクシン」
潜水C「?」
潜水A「……あの子たちからできるだけ離れて、薪のない辺りに行きなさい」
モロトヴェッツ「……姉さん、何を」
潜水A「決まってるでしょう。釣られてやるのよ」
潜水C「——!」
-
119 : 2015/09/21(月) 22:16:11.93 -
モロトヴェッツ「……囮になると?」
潜水A「……こうやって下から覗いてても、何も分からないままよ。
顔を出して見るしかないわ。誰かに注意が向いてる隙に……」モロトヴェッツ「なら、私が……!」
潜水A「……モーラ、貴女が知れば勝ちなのよ。
あの子たちの秘密を暴いて、貴女がそれを知りさえすれば……」潜水A「ソラクシンと2人で、あるいは貴女1人でも。
あの子たちを全員叩きのめせる。違う?」モロトヴェッツ「…………」
潜水A「……お願いね。勝てるわ、私たちなら」ギュンッ
潜水C「ジェーナさんっ!」
モロトヴェッツ「……ソラクシン。10時の方向へ」
潜水C「っ……!」
モロトヴェッツ「絶対に目から下は出さないで。5秒以上は見ないで、すぐに——」
-
120 : 2015/09/21(月) 22:20:33.69 -
—海上—
カリーニン「……! 来たか!」
ラーザリ「カリーニン! 艦隊から8時!」
カリーニン「見えてるッ! いくぞ!」
—海中—
ドボン!
ドボン!
ドボン!モロトヴェッツ「……ッ!」クルッ
潜水A「……はぁ、はぁ……やっぱり……!」
モロトヴェッツ「姉さん!」
潜水A「……み、見なさい……かわしてやったわ、あんなの……!」
モロトヴェッツ「こっちへ! 早く!」
潜水A「『薪』よ! モーラ!」
モロトヴェッツ「え——?」
-
121 : 2015/09/21(月) 22:24:23.34 -
潜水A「『薪の浮き沈み』が目印なんだわ!
私たちが水面に近づいたら、まき散らされた薪が『ブイ』みたいに揺れて……
それで位置が分かったのよ!」モロトヴェッツ「——! だからあんな数を……!」
潜水A「だから……死角はッ!」ギュンッ
モロトヴェッツ「! 姉さん! 待って、まだ——」
潜水C「モーラさん! ど、どうしたら……!」
モロトヴェッツ「あなたは海面で偵察を! 姉さんは私が援護する!」
潜水A「……見えたわ、水上艦。馬鹿正直に4人で固まって……!」
潜水A「——貴女たちが波を引く、その『真後ろ』ッ!
薪の揺れが分からない、そこが貴女たちの死角よッ!」バシャッ
-
122 : 2015/09/21(月) 22:28:10.92 -
—海上—
潜水A「食らいなさいな! 水上雷げ——」カコーン
潜水A「…………」
潜水A「……え?」
背後で威勢のいい声が聞こえ、続いて軽快な音が響いた。
旋回して見てみれば、片手に薪を構えた潜水艦が、ぽかんとした顔で固まっている。ラーザリ「ほー、やれるもんだね、意外と」
潜水A「な……あ、あ……え?」
ラーザリ「……打ち所が悪かったかな。もしもーし? 脳ミソご在宅?」コンコン
潜水A「な、なんで、どうして……!」
ラーザリ「別にいいけど? 教えてやっても。
こんな怠け者で、口が悪くて、性根の歪んだ鉄クズに……そこまで教えを乞いたいならね」潜水C「…………」スーッ
トビリシ「……ッ! ラーザリさん!」
-
123 : 2015/09/21(月) 22:32:11.14 -
潜水C「ッ!!」ブンッ
響「くっ……!」ヒュンッ
潜水C「ひゃぁあっっ!」コツン
ラーザリ「ほらほらほォら、とっとと上がんな——」
カリーニン「馬鹿、後ろだッ!」
ラーザリ「え?」ゴンッ
ラーザリ「…………」
ラーザリ「……あーあ……」
カリーニン「あーあ、じゃないッ! 何やってんだぁお前はァ!」
潜水C「あ、当たったぁ……」プカーッ
潜水A「Хорошо! ざまぁ見なさい! ばーかばーか!」プカプカ
ラーザリ「それが最年長の語彙かってのよ。これだから肉体労働者は……」
カリーニン「いいからとっとと上がれ貴様らぁ!」
-
124 : 2015/09/21(月) 22:36:14.09 -
モロトヴェッツ「…………」スーッモロトヴェッツ「……そうか……そういう事だったの……!」
モロトヴェッツ「やっと分かったわ……あなたたち……!」
モロトヴェッツ「走っていたのは『2人だけ』……ッ!!」
響「……!」
モロトヴェッツ「っ!」ザブン
響「しまった……!」
トビリシ「ヴェーニャ!?」
響「モロトヴェッツに見られていた。この戦術はもう使えない……!」
カリーニン「だが……いけるぞ、これなら! 3対1だ!」
響「——これより、本作戦は第三段階へ移行する!
各艦、最大戦速にて単独航行! 敵を攪乱しつつ、確実に浮上時を狙え!」「「了解っ!」」
-
125 : 2015/09/21(月) 22:40:17.54 -
—埠頭—
潜水C「すっ、すみません……て、偵察しろって、言われたのに……!」
潜水A「いいの、いいのよ! 大金星だわ!」ナデナデ
潜水B「このひねくれ艦を負かしたのよ! もっと誇りなさい、ソラクシン!」
ラーザリ「いの一番にやられといて……」
潜水B「う、うるさいっ!」
—海中—
モロトヴェッツ「……やられたわ。完全に裏をかかれた……」
モロトヴェッツ「訓練の風景、そして演習前の陣形。
そのせいで思い込んでいた……あの『複縦陣』が崩れない、と!」モロトヴェッツ「あの子たちは……『2人で4人分の軌跡を作っていた』!」
-
126 : 2015/09/21(月) 22:44:09.22 -
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
—2週間前 埠頭—
カリーニン「……どういうことだ?」
響「簡単だよ。まず、できるだけ速くて小回りの利く2人が、薪を両手に持つ。
そうしたら、次は薪の先っぽを水面に着けて、そのまま航行するんだ」カリーニン「……?」
響「当然、軌跡は本人の分と、両側の薪の分……あわせて『4つ』が並行する。
そして、2人が前後に並んで同じことをすれば……」カリーニン「——! 軌跡は『8つ』……4人の複縦陣か!」
響「……もちろん、見抜かれる可能性は十分にある。
特に、真昼間の何もない海ではね。……だから……」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
モロトヴェッツ「……だから、この時間帯か……!
航行する影が、昼間ほど鮮明には見えない『深夜』!」モロトヴェッツ「それに、あのバラ撒いた『薪』も……!
水面だけに注意を向けさせ、『動き』だけを追わせるために!」
モロトヴェッツ「……陣形を変えたのは、きっと投擲が一旦止んだ後。
そして、あの駆逐艦2人が偽装艦隊となり、残る2人が——!」
-
127 : 2015/09/21(月) 22:48:14.31 -
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
—2週間前 図書室—
ラーザリ「……つまり、『浮き砲台』ってわけ?」
響「平たく言えば、ね。さっき言ったように、海上にはすでに大量の薪が浮いている。
その横にくっついて、じっと動かなければ……」トビリシ「……見つかりにくい、ってこと?」
響「可能性は高いよ。もちろん、囮役がしっかり気を引ければ、だけど」
響「相手は、囮役の側面や背後を攻めようとするだろう。
だから、攻撃役は索敵だけに集中して、確実に薪を叩き込む」響「相手が浮上すれば、撒いておいた薪の揺れで分かるはずだ。
……相応の訓練は必要だけどね」ラーザリ「……バレない保証は?」
響「——あるとは言えない。でも……
全員で航行しながら戦うよりは、はるかに安定するはずだ」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
モロトヴェッツ「……ヴェールヌイ。あなたの入れ知恵ね……」
モロトヴェッツ「——これほどの戦術……カリーニンたちが独力で考えたとは思えない。
戦場を知らない彼女たちには……!」モロトヴェッツ「…………」
モロトヴェッツ「……けれど……ッ!」
-
128 : 2015/09/21(月) 22:52:15.30 -
—海上—
薪を構えながら、海上を駆け回る。
モロトヴェッツは姿を見せない。だが、慎重になるのも当然だ。
最後の1人。攻撃であろうと偵察であろうと、一歩間違えれば敗北となる。カリーニン「いたか!?」
トビリシ「駄目です、まだ……!」
響「焦っちゃだめだ。彼女は必ず来る、それまでは……!」
——その時。
ふと、胸の奥で何かがざわついた。響「——?」
目や耳ではないどこかに、得体の知れない感覚が広がる。
キス島で、琉球嶼で、周防灘で——幾度となく感じた、あの寒気。トビリシ「……ヴェーニャ?」
トビリシの背後で、海面がにわかに盛り上がる。
——気付いた時には、もう遅かった。 -
129 : 2015/09/21(月) 22:56:14.56 -
響「!! トビリ——」
水しぶきを立て、海面が炸裂する。
発射された、としか言いようのない速度で、薪がトビリシの背中を打った。トビリシ「あ——」
目の前には、茫然としてよろめくトビリシ。そして……
モロトヴェッツ「…………」
——まるでイルカのように海上へと飛び跳ね、
後ろに宙返りをして戻っていく—— モロトヴェッツの姿があった。響「…………」
響「……冗談だろう?」
-
130 : 2015/09/21(月) 22:56:44.95 - 一旦中断 続きはまた3日後ぐらいに
-
133 : 2015/09/24(木) 21:01:27.47 -
—海中—
モロトヴェッツ「……侮っていたわ、ヴェールヌイ」
モロトヴェッツ「あの問題児たちを、これほどの集団に育て上げ……
私たちを、ここまで追い詰めた」モロトヴェッツ「恐ろしいぐらいの切れ者だわ。
——まず何よりも、あなたを撃っておくべきだった」モロトヴェッツ「……けれど。あなたにだって、思いもよらないことがあるはず。
裏をかかれることだってあるはず」モロトヴェッツ「——今の私には、それができる。『1人にしてくれたお蔭で』ね……」
モロトヴェッツ「たとえ演習でも、これ以上の醜態は晒せない。
……1人ずつ、確実に撃ち抜いてあげる」
-
134 : 2015/09/24(木) 21:05:19.75 -
—海上—
カリーニンを背後に回らせて、海上を逃げ回る。
あの攻撃の正体を掴めないうちは、反撃のしようもない。カリーニン「なんだ……何なんだ、アレはッ!」
響「止まるんじゃない! 逃げるんだ、今は……!」
カリーニン「水中から投げたとでも言うのか!? 馬鹿な!」
響「——違う。あれは、もっと……」
パシャン、パシャンと、鋭い水音が響く。
——私たちの、真後ろからだ。響「ッ——!」クルッ
水面を跳ね回りながら、モロトヴェッツがこちらに迫ってくる。
いつ潜るか、いつ飛び出してくるか、タイミングは完全に不規則だ。
おまけに、薪の浮いていないところを絶妙なまでに突いている。カリーニン「この……おちょくってッ!」
響「埠頭だ、カリーニン!」
埠頭のコンクリートが、眼前にまで迫っていた。
左舷側には、埠頭に対して直角に出張った桟橋。
——右舷側へ逃げるしかない。 -
135 : 2015/09/24(木) 21:08:16.67 -
響「おもーかーじッ!」
体を傾け、右舷へ急旋回する。
そのすぐ後ろに、カリーニンも続き——カリーニン「——あ——」
響「——!!」
一瞬の破裂音。
小さな水しぶきと、そのやや右後ろに、大きな水しぶき。
その正体を見切ったときには、もう……
旋回中のカリーニンの胸に、薪が勢いよく食い込んでいた。
-
136 : 2015/09/24(木) 21:12:24.56 -
響「……っ……!」
カリーニン「……すまない……あとを……」
モロトヴェッツ「…………」
モロトヴェッツが再び宙返りし、水中へと戻っていく。
その背中には、あと4本の薪が結わえ付けられていた。響(……罠だったんだ。わざと目立つ動きで追って、
右にしか旋回できない場所まで追い込んだ……)響(そして、私たちが向きを変える、その場所まで予測して……!)
——もしかしたら、最初からカリーニンだけを狙っていたのかもしれない。
彼女は、私の航路を忠実になぞっていた。
私が旋回した場所に、一瞬遅れて薪を撃ち込めば……ほぼ確実に当てられる。響(……でも……)
響(さっきので、大体の見当は付いた……!)
-
137 : 2015/09/24(木) 21:16:08.40 -
最大戦速で駆け回りながら、頭の中を整理する。
猛スピードで飛び出した薪。モロトヴェッツの宙返り。2つ同時の水しぶき——響(——『急降下爆撃』の『逆』なんだ)
響(海の深いところから……薪を掲げて、全速力で斜めに浮上)
響(水面近くで手を離せば、薪は慣性と浮力で、そのまま斜めに飛び出す)
響(それこそ、『発射された』ような速度で……!)
モロトヴェッツ「…………」パシャン! パシャン!
響「っ……!」ギュンッ
跳ね回るモロトヴェッツに、薪を構えながら接近する。
——もう、その手には乗らない。
-
138 : 2015/09/24(木) 21:20:23.53 -
モロトヴェッツ「——!」ザブン
響(……そして、あの宙返り)
響(薪を離したあと、すぐさま体を反らせば、力は全て上に向く)
響(その勢いで飛び上がり、宙返りをすれば……
今度は飛び込みの要領で、また深く潜れるというわけだ)響(……おまけに、こっちは反撃もしにくい。
空中の相手に投擲なんて、無駄撃ちになるのは分かり切ってる)響(……宙返りの真下に行くぐらいじゃないと、確実には命中させられない……!)
モロトヴェッツが潜航する。
私に薪を叩き込む隙を、じっと伺うつもりなのだろう。響(……どうする?)
響(単に避けるだけじゃ間に合わない。あの薪を凌ぎ、同時に一瞬で接近する……)
響(それができないなら、私たちは……)
-
139 : 2015/09/24(木) 21:24:18.59 -
横目に、ちらりと埠頭を見る。
トビリシたちが、潜水艦たちが、揃って私たちの戦いを見守っていた。
ちょうど、さっきの桟橋のあたりだ。埠頭との間にできた、角のあたりに集まって……響(……角……)
響(…………)
響(————ッ!!)
埠頭の岸壁に対して、直角に延びている桟橋。
その接合部分の直角に向かって、全速力で舵を切る。ラーザリ「……ん?」
カリーニン「……何だ? どうしてこっちに……」
みんなが訝しんでいるのが見えた。
そのまま、ギリギリのところまで角に近づき……トビリシ「——え……!?」
急停止して反転。角にぴったりと背中を付ける。
背後から、みんなのどよめきが聞こえた。
-
140 : 2015/09/24(木) 21:28:13.95 -
リーニン「な——何をやってるんだ! 止まってどうする!? そんな所で……!」
トビリシ「逃げてヴェーニャ! 早く!」
ラーザリ「…………」
響「…………」
そして手持ちの薪を、1本だけ背中に残して……他は全て足元にバラ撒く。
みんなが絶句しているのが、手に取るように分かった。潜水C「え……え……?」
潜水B「……正気……!?」
潜水A「ど……どうせ自棄よ。やったわモーラ……!」
響「…………」
視線を落とす。足元の薪と、前方の海……その両方が見えるように。
——もう後はない。残された道は、ただひとつだ。
-
141 : 2015/09/24(木) 21:32:14.51 -
—海中—
モロトヴェッツ「……壁を背に……前方だけに備えるつもりね」
モロトヴェッツ「——でも、残念ね。私は……」
パシャン パシャン
パシャン パシャンモロトヴェッツ「——! 薪を……」
モロトヴェッツ「……なるほど。『真下』への備えも抜かりない。
性懲りもない策だけど……」モロトヴェッツ「…………」
モロトヴェッツ「——そんなに正面から来てほしいなら……
いいわ。望みどおりにしてあげる」モロトヴェッツ「これで終わりよ、ヴェールヌイ……!」
-
142 : 2015/09/24(木) 21:36:11.94 -
—海上—
響「…………」
最後の薪を手に取り、ただじっと……その時を待つ。
背後ではみんなが、固唾を飲んで見守っている。響「…………」
意識を、ただ目の前だけに集中する。
海が、世界が、私に向かって……ゆっくりと閉じていくような感覚。響「…………」
どれくらいの時間が経っただろう。
数分か、数秒か……もしかしたら、ほんの一瞬だろうか。響「…………」
——風が吹いた。
夏の夜にふさわしい、湿った風が……
————そして、目の前の海が、ほんの少し———— -
143 : 2015/09/24(木) 21:40:09.95 -
響「————っ!!」
腰を落とす。頭を下げる。
ギリギリまで姿勢を低くして、真正面へと突撃する——!カリーニン「——な……!」
トビリシ「あ——あぁ……!!」
ラーザリ「……ひゅ……」
水しぶきが上がる。薪が顔を出す。
仰角45度で迫るそれは——潜水A「……あ……え……?」
潜水B「……うそ……」
潜水C「うぁ——」
——見事に。
私の、『頭上』をかすめた。
-
144 : 2015/09/24(木) 21:45:03.24 -
響「…………」
まるで水面を這うように、もう1つの水しぶきへ肉迫する。
直線移動だ。無駄はない。モロトヴェッツ「————」
直上のモロトヴェッツと目が合う。
——信じられない、という顔だった。響「……捉えたよ」
-
145 : 2015/09/24(木) 21:48:14.11 -
振りかぶった手を、思いきり前に伸ばす。
手裏剣のように回転しながら、薪がまっすぐ進んでいく。モロトヴェッツ「——ッ——!」
モロトヴェッツが腰に手を回す。
迎撃のために、向こうも薪を撃つつもりなのだろう。
——けれど、もう手遅れだ。モロトヴェッツ「…………」
モロトヴェッツ「…………馬鹿な……」
———— そして、最も恐るべき相手の肩に。
———— 最後の薪が、命中した。
-
146 : 2015/09/24(木) 21:52:12.00 -
響「…………」
水しぶきを上げて、モロトヴェッツが沈む。
誰も、何も言わなかった。長い静寂が、あたりを包む。やがて……仰向けになったモロトヴェッツが、大の字で浮き上がってきた。
モロトヴェッツ「…………」
モロトヴェッツ「……Хорошо(素晴らしい)……!」
響「…………」
モロトヴェッツ「…………私たちの、完敗ね」
-
147 : 2015/09/24(木) 21:56:11.58 -
「「……ぃいやったああああぁぁぁぁぁ!!!」」歓声を上げながら、トビリシとカリーニンが駆け寄ってくる。
その後には、ラーザリが少し恥ずかしそうに続く。トビリシ「ヴェーニャぁっ! すごい! すごいわっ! あぁもうっ……!!」
カリーニン「やったんだ……やったんだぞ! 私たちはッ!
ははは……ヴェールヌイっ! こいつっ! こいつぅっ! やったぞぉ!!」響「ちょ、ちょっと……2人とも……」
「「Урааа! Урааа! Ураааааа!!」」
2人に代わる代わる抱き着かれ、頬に何回もチューをされた。
正直、勘弁してほしかった。 -
148 : 2015/09/24(木) 22:00:18.67 -
ラーザリ「…………」
カリーニン「何やってるラーザリ! ほら!」
ラーザリ「え! あ、ああ……」
響「と、トビリシ……苦し—— ん?」
ラーザリ「……ま、何て言うか……その、ほら……ええと」
しばらく言いよどんでから、ラーザリが私の手を握る。
そして、顔を逸らしながら……ラーザリ「…………お疲れさん。悪かったね、色々……」
響「……ううん。ありがとう」
ラーザリ「……よせっての」
-
149 : 2015/09/24(木) 22:04:38.08 -
潜水C「う……うぅ……」
潜水B「こんな……納得いかないわよ……こんなの……!」
潜水A「……納得できなくても、負けは負けよ」
モロトヴェッツ「…………」
潜水B「……そうよ。こんなの認めないわッ!」
モロトヴェッツ「……マクレル」
潜水B「もう一度よッ! もう一度戦いなさい! 水上艦!!」
カリーニン「な——はぁ!?」
潜水B「言っておくけれど、さっきは全然本気じゃなかったのよ!?
可哀想だから手を抜いてあげたの! 本当!」潜水A「……あのね、マクレル……!」
ラーザリ「……あーあ……」
-
150 : 2015/09/24(木) 22:08:12.02 -
潜水B「大体何よ! あんたたちが勝ったのなんて、ほとんどヴェールヌイのおかげでしょう!?
個々の実力じゃ私たちが上よ! 分かってるんでしょうね!?」カリーニン「お前たちだって! モロトヴェッツしかまともに戦ってないくせに!」
潜水B「こ、こんのぉっ……! もう怒った! 本気で負かしてやるわ! ……ヴェールヌイ以外!」
カリーニン「上等だ……! 鼻っ柱へし折ってやる! 来いトビリシ!」
トビリシ「え、えぇー……?」
潜水B「ソラクシン! 手伝いなさい、こいつらぶちのめすわ!」
潜水C「ま、待って……待ってください……!」
響「……どうするんだい、あれ」
ラーザリ「……どーすっかね、ほんと」
モロトヴェッツ「……はぁ……」
-
151 : 2015/09/24(木) 22:12:07.22 -
海の上で、ラーザリたちが2回戦を始める。
……演習というよりは、ただの喧嘩だった。
各々、好き勝手に叫びながら、むちゃくちゃに薪を投げあっている。響(……でも……)
『ほーら暁! 私の方が速いわよ!』
『ふふーん、大人のレディはそんなの……あーもう! 響まで!
お姉ちゃん抜かしちゃだめなんだからね!』
『まっ、待ってぇ……みんなぁー……』響(……こんなに賑やかなのも、久しぶりだ)
-
152 : 2015/09/24(木) 22:16:27.04 -
響「…………」
ラーザリ「……ヴェールヌイ?」
響「……さすがに、ちょっと疲れたよ。艦でしばらく休んでくるね」
歩きながら、ふと夜空を見上げる。見渡す限り、満天の星空だ。
見慣れた星がいくつもあった。はくちょう座、こと座、北斗七星。
……そして、静かに光る北極星。響(……ああ……)
響(今夜は、ぐっすり眠れそうだ……)
-
153 : 2015/09/24(木) 22:20:13.45 -
—翌朝—
—駆逐艦「ヴェールヌイ」・甲板—
響「…………」
響「……ん……ああ……」
眩しい光に、ゆっくりとまぶたを開く。気づけば朝日が昇っていた。
だいぶ長いこと、意識を閉じていたようだ。響「……あれ?」
右の手のひらに、固い感触があった。
知らない間に、何かを握っていたようだ。
-
154 : 2015/09/24(木) 22:24:13.07 -
響「…………これは……」
手の中にあったのは、見慣れたバッジ。
特Ⅲ型の「Ⅲ」をあしらった、私たちの思い出の品だ。響(……いつ外れたんだろう。ずっと帽子に着けてたんだけど)
響「…………」
理由は分からないけど、知らないうちに外れてしまったようだ。
いつまた同じことが起きるか分からない。なら、ポケットにしまっておく方が安心だ。大事に大事に、バッジをポケットに収める。ソ連のバッジと同じポケットだ。
3つのバッジが、ちゃりちゃりと心地いい音を立てる。響「……ふふ」
-
155 : 2015/09/24(木) 22:28:20.18 -
—埠頭—
響「おはよう、みんな」
トビリシ「あ、おは……よ——」
カリーニン「…………!!?」
ラーザリ「…………」ヒュゥ
響「……? どうしたんだい?」
カリーニン「……どうしたって……お前なぁ」
ラーザリ「……馬子にも衣装か、よく言ったもんだね。
キキーモラにでも編んでもらったか?」トビリシ「……かわいい……」
響「……へ?」
トビリシ「すっごくかわいい! ヴェーニャっ! ほらっ、来て!」
トビリシに手を引かれ、基地の窓のそばへ行く。
……そして、そこに映っていたのは——響「……あ……!」
すっかり見慣れた自分の顔。そして——見慣れない、真っ白な帽子。
襟のスカーフは無くなって、腰には黒いベルトが通る。—— そう、「ヴェールヌイ」の恰好だった。
-
156 : 2015/09/24(木) 22:32:19.63 -
響「……いつの間に……」
トビリシ「ね、ね! この水兵服、わたしとお揃いよ! どう!?」
カリーニン「いや待て。何というのか……まだ何かが……
——! そうだ、ヴェールヌイ! バッジはどうした!」響「え、バッジ?」
カリーニン「トビリシと同じ服を着た以上……お前はもう、名実ともにソビエト艦だ。
ならば、その証として! 胸に2つだ、ピシッと着けろ!」響「……胸じゃないとダメかい?」
カリーニン「え……いやまあ、駄目というわけでもないが」
響「……そうか。よかった」
-
157 : 2015/09/24(木) 22:36:07.36 -
窓を見ながら、2つのバッジを……帽子の左側に着ける。
鎌と槌、そして五芒星が、朝日を受けて煌めいていた。響「うん。やっぱり、こうでないとね」
ラーザリ「……分かんないなあ、あんたのセンス」
トビリシ「あはは、似合う似合う! ……そうだ! モロトヴェッツさんにも見せに行かない?」
響「え……!? いや、その、それは……」
トビリシ「大丈夫よ! すっごくかわいくてカッコいいから! ね!」
響「ああ、ちょっと……!」
——私はね、独りでいるのは嫌いじゃない。
というより、独りを嫌ったり、辛く思ったりしても、仕方がないと思ってる。
……でもね。新しい仲間と朝を迎えて、私はこうも思ったんだ。————やっぱり、こういうのもいいな、って。
-
158 : 2015/09/24(木) 22:40:10.84 -
——
————
————————暁「……ぐすっ……」
響「……暁? 何で泣いて……」
暁「な、泣いてない! 泣いてないんだから!」グスッ
雷「よしよし……」ナデナデ
暁「ばかぁ……!」
電「……よかった……よかったね……響ちゃん……」
響「……? 別に泣くような話でも……」
提督「まあ、いいからいいから」
-
159 : 2015/09/24(木) 22:43:42.19 -
響「……それにしても、もうこんな時間か。ずいぶん長いこと話してしまったね」
響「お腹空いただろう? そろそろ、お昼にしようか。
……給養員さんに、ブイヨンの仕込みをお願いしておいたんだ」暁「え! 響が作ってくれるの!?」
響「……なんだか、色々懐かしくなってきてね。ボルシチも久しぶりだろう?」
雷「はいはーい! 私も手伝うわ!」
電「みんなでやったら早いのです!」
暁「あ……じゃ、じゃあ私も……」
提督「……無理すんじゃないぞ? みんな」
暁「なんでこっちを見て言うのよぉ!」
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160 : 2015/09/24(木) 22:47:19.96 -
雷「……あ、響」
響「ん?」
雷「そう言えば、潜水艦の人たちとはどうなったの?
勝負が終わっても、まだゴチャゴチャやってたみたいじゃない」響「まあ、ね……あれからも週に1回は、カリーニンたちと戦ってたよ」
雷「え、えぇ? それじゃ結局、仲悪いままってこと!?」
響「いや、そうじゃなくて……何て言おうか……」
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161 : 2015/09/24(木) 22:50:18.07 -
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———夜 海上—
潜水B「見なさいカリーニン! 薪小屋の奥にこんなボールが……!」
カリーニン「ちょうどいい……今日はサッカーで叩きのめしてやる」
潜水B「ほざきなさい! ジェーナさん、キーパーお願い!」
カリーニン「トビリシ! ヴェールヌイ! 見てないで来い、作戦会議だ!」
響「……君たちホントは仲良いだろう?」
【Продолжение следует…………】
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162 : 2015/09/24(木) 22:51:10.29 - 第2話おわり 次回は遅くとも2週間以内に
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